ノート:からくり

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語源[編集]

語源は島根県安来市広瀬町の嘉羅久利神社(からくりじんじゃ)からきたという説がある。

とありますがこれの出典をお願いします。どちらかというと中国から入ってきたから唐繰(からくり)というほうが通説だと思いますが。--64.185.237.50 2008年2月11日 (月) 18:31 (UTC)[返信]

嘉羅久利神社について[編集]

どうも、ものぐさたろうと申します。嘉羅久利神社についてですが、『日本歴史地名大系33』(1995年、平凡社)によれば、島根県広瀬町の「三笠山」の項に以下のように出ています。

(前略)…山麓の宮尾に嘉羅久利神社があり、五十猛命を祀る。江戸初期まで三笠山周辺にあったが、寛永12年(1635)の洪水で流失、その後広瀬藩初代藩主松平近栄が藩邸内に同社の霊殿拝所一宇を建立して再興したという。現在地に移されたのは棟札によれば天明元年(1781)である。(260頁)

ほかにも『出雲国風土記註論 総記・意宇郡条』関和彦著(2003年、島根県古代文化センター)には、この嘉羅久利神社はもとは佐久多神社という社とともに祀られていた「韓国伊太氐(からくにいたて)神社」のことであり、また社伝によれば、「天平以前當社ハ三笠山ノ邊ニ在シト云フ中古ハ加栗社ト称ス後嘉羅久利神社ト云フ」とのことです(151頁より)。

それでWikipedia以外でネットを検索すると、この神社が「からくり」の語源であるようにいわれている所があります。しかし一通り紙媒体の辞書を見たのですが、この神社が「からくり」ということばの語源であると出ているものはありませんでした。「島根県安来市広瀬町の嘉羅久利神社(からくりじんじゃ)からきたという説」はいつ誰が主張したものかわかりません。あるいは何かの書に、そのように記されているのかもしれませんが、しかし自分はこの「島根県安来市広瀬町の嘉羅久利神社(からくりじんじゃ)からきたという説」というのは、載せないほうがよいと判断します。その理由は以下の通り。

  • この嘉羅久利神社の祭神はスサノオノミコトの子とされる五十猛命(いたけるのみこと)だが、五十猛命には「からくり」に因むような話は残されていないこと。
  • 嘉羅久利神社じたいについても、「からくり」に関わるような話は見出せないこと。

もしかりに、「からくり」についてこの神社が何らかの形で関わっているのならば、「からくり」について何の話も出てこないというのはおかしなことです。私見ですが、これは単なる同音によるこじつけであり、取り上げる必要があるものとは思えません。また何かの書物に記されているのだとしても、現在一般に見られる辞書類にまず見られない語源説であり、しかも付会のおそれがあることならば取り上げないほうが穏当であるというのが自分の意見です。故に本文の「島根県安来市広瀬町の嘉羅久利神社(からくりじんじゃ)からきたという説」は削除し、また他の項目に同様の記載がされているものについても削除させていただきます。--ものぐさたろう 2011年1月29日 (土) 12:16 (UTC)[返信]

外部リンク修正[編集]

編集者の皆さんこんにちは、

からくり」上の1個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2018年3月16日 (金) 08:46 (UTC)[返信]

舞台からくりについて[編集]

駿錬と申します。 もしよしければ、ご意見いただけますでしょうか。

舞台からくりについて ・芝居からくりともいう。 ・からくり装置を組み込んだ舞台で、からくり人形に芝居をさせるからくりの事。竹田近江一門が火付け役か?→からくりにて「舟弁慶」を演じる(からくりおとぎ傀儡師:「大からくり絵尽」参照)。 ・群馬県桐生市、鹿児島県南九州市・南さつま市・福岡県八女市にて現在も定期的に公演されている。

桐生からくり芝居保存会の資料が手に入り、桐生からくりの項目に情報を追加させて頂いたときに、気になりました。 (桐生からくり人形に、分類として「舞台からくり」の表記がありました。)

お手数ですがよろしくお願いいたします。 --駿錬会話) 2020年6月27日 (土) 07:40 (UTC) 修正--駿錬会話2020年6月27日 (土) 10:03 (UTC)[返信]