ドン・ケイ

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ドン・ケイ
誕生 (1938-06-27) 1938年6月27日[1]
死没 1975年1月31日(1975-01-31)(36歳)
職業 ゲーム出版[2][3]
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ジャンル ロールプレイングゲーム
ウィキポータル 文学
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ドナルド・R・ケイDonald R. Kaye1938年6月27日1975年1月31日)は、『ダンジョンズ&ドラゴンズ』(『D&D』)ロールプレイングゲームを出版したことで有名なゲーム出版社、タクティカル・スタディーズ・ルールズ(TSR)の共同創設者である。彼は同じくTSRの共同創設者であるゲイリー・ガイギャックスとは子供時代からの友人であり、ミニチュア・ウォーゲームへの興味を共有していた。1972年、ケイは『D&D』で最初のキャラクターの1人である「マーリンド」を作成し[4]、ガイギャックスの「グレイホーク城」キャンペーンでテストプレイを行った。ケイとガイギャックスは『D&D』やそれと同様のゲーム販売が卓越したビジネスチャンスであることを確信し、1973年にタクティカル・スタディーズ・ルールズ(TSR)を共同創設した。しかしそれからたった2年後、『D&D』の売上げが上昇し始めたのとちょうど同時期に、ケイは突然の心臓発作により36歳で亡くなった。

若年期と初期のゲーム[編集]

ドン・ケイは1938年6月27日に生まれた[5]。彼はウィスコンシン州レイク・ジェニーバで成長し、6歳の時にガイギャックス(当時はシカゴから訪問しており、1946年にこの町に移住した)と友人となった[2]。彼らは1953年にミニチュア・ウォーゲームをプレイし始めた[6]。ガイギャックスとケイは54mmと70mmのフィギュアを大量に収集しており、それらのために独自のミニチュアルールを作成し、爆発をシミュレートするために爆竹を使用していた[2][7]。1965年、ケイ、ガイギャックス、マイク・リース、レオン・タッカーらはミリタリーミニチュア同好会であるレイク・ジェニーバ・タクティカル・スタディーズ・アソシエイション(LGTSA)を設立し[7]、その最初の本部をガイギャックス家の地下室とし、後にはケイの家のガレージで会合を行った[8]

TSRの創設[編集]

1972年の秋、ミネアポリス・セントポール都市圏近郊に住むウォーゲーム愛好家であるデイヴ・アーンソンは、LGTSAの会合において新しい種類のゲームであるロールプレイングゲームを実演した。ガイギャックスはそれに触発され[9]、想像上の「グレイホーク城」を舞台とした類似のゲームを作り出し、自分の子供達であるアーニーとエリスに「キャラクターを作って冒険しよう」と呼びかけた[10]。翌晩、ケイは同じくガイギャックスの友人であるロブ・クンツとテリー・クンツと共にゲームに加わった[4][2]。ケイはキャラクターとして「マーリンド」、ロブ・クンツは「ロビラー」、テリー・クンツは「テリック」をそれぞれ作成した[11]。ケイはGen ConVI(1973年)において、『ダンジョンズ&ドラゴンズ』の試作品が非常に熱狂的にプレイされているのを目の当たりにし、ガイギャックスにこのゲームを自分達自身で販売するために会社を創立しようと提案した[12]。このゲームの潜在的な需要に気付き、ケイとガイギャックスは出版社タクティカル・スタディーズ・ルールズを創立するために各々1,000ドルずつを投資した[13] [14][2]。ケイは自分の持ち分を自身の生命保険から借用した[7][15]。TSRは最初、ケイの自宅の食堂で運営されていた[12]。彼らはすぐにイングランド内戦を扱ったミニチュアゲームである『キャバリアズ・アンド・ラウンドヘッズ』を出版し[16]、その収益で『D&D』を印刷、出版することを計画した[15]。しかしながら1974年、他の企業によって類似の製品が展開されるおそれがあったため、彼らはそれ以上待たないことに決め[17]、ゲーム仲間であったブライアン・ブルームが1/3の対等な共同経営者としてTSRに出資するよう説得した[18]。1974年1月、彼らは『D&D』を1,000部印刷し、ガイギャックス家の地下室において手作業でセット組を行った[6]。製品の保管と出荷はケイの自宅で行われた[2]。初版は1974年中に売り切れ、第2刷の売上げは急激に増加し始めた[19]。1974年末、ケイは『ブーツヒル』と呼ばれる新たな西部劇ジャンルのゲームのルール開発を手伝った[20]

死と遺産[編集]

1975年初頭、3ケイは心臓手術を必要としており、彼はその事実を共同経営者達にも告げていなかった[15]。そのため、手術予定日前の1975年1月31日にケイが突然の心臓発作を起こして死亡した際に、ガイギャックスとブルームは何の準備もできていなかった[5][7]

ケイはTSRの1/3の持ち分について遺言書による指定をしていなかったため、彼の持ち分は妻に相続されたが、彼女はTSRに対して何の興味も持っていなかった。ガイギャックスは「ドンが亡くなった後、(ケイの妻は)タクティカル・スタディーズ・ルールズ関連の全ての資材を私の家の玄関前に投げ出していった。彼女が共同経営者となった場合、経営を継続するのは不可能であっただろう。」と述懐した[21]。ガイギャックスもブルームも2人ともケイの妻が所有する株式を正式に買収するだけの資金を持っていなかったが、ブルームは自分の父であるメルビン・ブルームがそれを買い取ることを許可するようにガイギャックスを説得した[22]。会社はブルーム一家が企業支配権を持つ形で、TSRホビー社として改編された[18][23][22]

1975年、ガイギャックスとブルームは、ケイを偲んで『ブーツヒル』を出版した[2]。ガイギャックスは1983年3月発売の『ドラゴン・マガジン』71号でケイのキャラクターであった「マーリンド」に脚光を浴びせた[24]。翌年、ガイギャックスは『アンアースド・アルカナ』で2つの呪文(マーリンドズ・オーガ、マーリンドズ・ボイド)と1つのアイテム(マーリンドズ・スプーン)にマーリンドの名を使用することにより、ケイに対する新たな賛辞を呈した[25]

脚注[編集]

  1. ^ "United States Social Security Death Index," index, FamilySearch (https://familysearch.org/pal:/MM9.1.1/V9C6-64X : accessed 12 Feb 2013), Donald Kaye, January 1975; citing U.S. Social Security Administration, Death Master File, database (Alexandria, Virginia: National Technical Information Service, ongoing).
  2. ^ a b c d e f g Lynch, Scott (2001年5月17日). “Interview with Gary Gygax, part 2 of 3”. RPGnet. 2016年2月24日閲覧。
  3. ^ ケイの最初の職業は公表されなかったが、彼はその職を辞めてベンチャー企業TSRで働くことを計画していた。
  4. ^ a b David Kushner (2008年3月10日). “Dungeon Master: The Life and Legacy of Gary Gygax”. Wired. 2012年11月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年4月17日閲覧。
  5. ^ a b “In Memorium”. The Strategic Review (Lake Geneva, Wisconsin: TSR, Inc.) (#2): 1. (Summer 1975). 
  6. ^ a b “Gary Gygax”. The Economist. (2008年3月13日). http://www.economist.com/obituary/displaystory.cfm?story_id=10838120&CFID=17643695&CFTOKEN=eb6b0a6fe805fcd3-C484BEF6-B27C-BB00-0127F658915D58E3 2008年10月7日閲覧。 
  7. ^ a b c d “TSR Profiles”. Dragon (Lake Geneva, Wisconsin: TSR, Inc.) (103): 56. (1985-11). 
  8. ^ The Castle & Crusade Society”. The Acaeum. 2012年4月17日閲覧。 - ポール・ストームバーグ、ゲイリー・ガイギャックスロブ・クンツがLGTSA会合の場所と組織を検討する様子からの引用。
  9. ^ ガイギャックス:「私はこのD&Dゲームの原型に誰よりも魅了されていた...」 Gary Gygax: Q & A (Part VI, Page 2)”. EN World (2004年2月11日). 2009年3月15日閲覧。
  10. ^ ガイギャックス:「1972年の晩秋のことだった。私は幾つかの城の廃墟と地下階層(1層だけ)に至る道筋の地図を書き上げ、11歳の息子アーニーと9歳の娘エリスを、キャラクターを作って冒険しようと誘った。彼らはこれに乗ってきて、およそ午後9時頃、想像上の勇敢な行為から立ち戻り、索引カードに書いたキャラクターシートを置いてベッドに向かわねばならなかった。2人は素晴らしい時間を過ごしており、冒険の継続を望んでいた。」 Gary Gygax: Q & A (Part IV, Page 1)”. EN World (2003年7月22日). 2010年3月16日閲覧。
  11. ^ ガイギャックス:「一両日中にドン・ケイ(マーリンド)、ロブ・クンツ(ロビラー、オットー)、テリー・クンツ(テリック)らが遊び仲間に加わった。」 Gary Gygax: Q & A (Part I, Page 8)”. EN World (2006年8月6日). 2009年3月15日閲覧。
  12. ^ a b Shannon Appelcline (2011). Designers & Dragons. Mongoose Publishing. p. 7. ISBN 978-1-907702-58-7 
  13. ^ Frank W. Hoffmann; William G. Bailey (1991). Sports & Recreation Fads. Haworth Press. p. 109. ISBN 1-56024-056-3 
  14. ^ Gary Gygax Interview”. Dungeons and Dragons Online - Game Banshee (2004年7月20日). 2009年3月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年4月17日閲覧。 - ガイギャックス:「ええ、そう、私はドン・ケイと一緒にタクティカル・スタディーズ・ルールズを創設した。彼と私は対等な共同出資者だった。我々は1973年10月に会社を創立し、1974年1月に『D&D』を出版したんだ。」
  15. ^ a b c Stewart Alsop II (1982年2月1日). “TSR Hobbies Mixes Fact and Fantasy”. Inc.. 2016年2月24日閲覧。
  16. ^ Ralf Toth. “From D&D to AD&D (1966-1976)”. Tome of Treasures. 2012年4月17日閲覧。 - 当時の全ての大手ゲーム出版社に出版を断られた後、ゲイリー・ガイギャックスとドン・ケイは共同出資会社を創立し、それはレイク・ジェニーバにあったケイの自宅の食堂で運営されていた。会社は、彼らの地元ウォーゲーム同好会「レイク・ジェニーバ・タクティカル・スタディーズ・アソシエイション」にちなんで、「タクティカル・スタディーズ・ルールズ」と命名された。ケイはイングランド内戦を扱ったミニチュアゲームである『キャバリアズ・アンド・ラウンドヘッズ』を出版するために必要であった1,000ドルを支払った。
  17. ^ Ciro Alessandro Sacco. “The Ultimate Interview with Gary Gygax”. thekyngdoms.com. 2010年3月23日閲覧。 - ガイギャックス:「ドンと私は可能な限り速やかに『D&D』ゲームを発売することを望んだ。もし我々が軍事ミニチュアルール『キャバリアズ・アンド・ラウンドヘッズ』を発売して充分な収益が上がるまで待っていたなら、『D&D』の出版は1975年になっていたことだろう。 」
  18. ^ a b The History of TSR”. Wizards of the Coast. 2008年10月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2005年8月20日閲覧。
  19. ^ 30 Years of Adventure: A Celebration of Dungeons & Dragons. Renton WA: Wizards of the Coast. (2004). p. 55. ISBN 0-7869-3498-0 
  20. ^ クンツ:「ドンは非常に西部劇を愛好しており、『ブーツヒル』ルールの熱心な支持者であった。 」 Robilar Remembers: Murlynd”. Pied Piper Publishing (2004年10月18日). 2009年9月16日閲覧。
  21. ^ Gary Gygax: Q & A (Part IV, Page 2)”. EN World (2003年7月23日). 2010年3月23日閲覧。
  22. ^ a b The Ultimate Interview with Gary Gygax”. 2010年3月23日閲覧。
  23. ^ Laura Parker (2008年3月7日). “Gary Gygax: Founding father of fantasy computer games and co-creator of Dungeons & Dragons. The Guardian. http://www.guardian.co.uk/technology/2008/mar/07/games?gusrc=rss&feed=technology 2008年10月7日閲覧。 
  24. ^ Gary Gygax (1983年3月). “Greyhawk's World: Four Uncharacteristic Characters”. Dragon Magazine (Lake Geneva WI: TSR) VII, No. 9 (71): 19-22. 
  25. ^ Gary Gygax (1985年8月). Unearthed Arcana. TSR, Inc.. ISBN 0-88038-084-5