タンクレード・ド・オートヴィル
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タンクレード・ド・オートヴィル(Tancrède de Hauteville, 990年頃クタンス - 1041年頃)は、オートヴィル(アルタヴィッラ)家の始祖。イタリア語名ではタンクレーディ・ダルタヴィッラ(Tancredi d'Altavilla)となる。
タンクレードの生涯についてはほとんど知られていない。コタンタン半島にあるバス・ノルマンディーの街クータンスのノルマン系の一貴族であった彼は、おそらくオートヴィル=ラ=ギシャール(Hauteville-la-Guichard)の村を所有していた。タンクレードは2人の妻によって、12人もの息子を残し、その多くが南イタリアにおいて重要な諸侯となった。
1020年頃、ミュリエル(Murielle)との結婚では以下の子をもうけた(/の後はイタリア名)。
- 鉄腕ギヨーム/グリエルモ(Guillaume Bras-de-Fer / Guglielmo Braccio di Ferro) - プッリャ伯。
- ドロゴン/ドロゴーネ(Drogon / Drogone) - プッリャ伯。
- オンフロワ/ウンフレード(Onfroi / Umfredo) - プッリャ伯。
- ゴドフロワ/ゴッフレード(Godefroi / Goffredo)
- セルロン(Serlon)
1025年にミュリエルが死ぬと、タンクレードはフレデゼンド(Frédésende)と2度目の結婚を行い、以下の子をもうけた。
- ロベール・ギスカール/ロベルト・イル・グイスカルド(Robert Guiscard / Roberto il Guiscardo) - プッリャ伯、のちにプッリャ公、カラブリア公、シチリア公。
- モジェ/マルジェーロ(Mauger / Malgero)
- ギヨーム/グリエルモ(Guillaume / Guglielmo) - プリンチパート伯
- アルフレッド(Alfred) - ノルマンディーに残留
- ユベール(Hubert) - ノルマンディーに残留
- タンクレード(Tancrède) - ノルマンディーに残留
- エマ(Emma)
- フレデゼンド(Frédésende)
- ロジェ/ルッジェーロ(Roger / Ruggero I) - 大伯爵(Gran Conte)と呼ばれたシチリア伯
残る幾人かの女子の名前は知られていない。