ゾフィー・エレオノーレ・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ゾフィー・エレオノーレ・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット
Sophie Eleonore von Hessen-Darmstadt

出生 (1634-01-07) 1634年1月7日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
ヘッセン=ダルムシュタット方伯領ダルムシュタット
死去 (1663-10-07) 1663年10月7日(29歳没)
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
ヘッセン=ホンブルク方伯領、ビンゲンハイム
配偶者 ヘッセン=ホンブルク方伯ヴィルヘルム・クリストフ
子女 本文参照
家名 ヘッセン=ダルムシュタット家
父親 ヘッセン=ダルムシュタット方伯ゲオルク2世
母親 ゾフィー・エレオノーレ・フォン・ザクセン
テンプレートを表示

ゾフィー・エレオノーレ・フォン・ヘッセン=ダルムシュタットドイツ語:Sophie Eleonore von Hessen-Darmstadt, 1634年1月7日 - 1663年10月7日)は、ヘッセン=ホンブルク方伯ヴィルヘルム・クリストフの妃。

生涯[編集]

ゾフィー・エレオノーレはヘッセン=ダルムシュタット方伯ゲオルク2世と、ザクセン選帝侯ヨハン・ゲオルク1世の娘ゾフィー・エレオノーレの間の娘である。

1650年4月21日にダルムシュタットにおいて、ヘッセン=ホンブルク方伯ヴィルヘルム・クリストフと結婚した。結婚の際にゾフィー・エレオノーレは父親からビンゲンハイムの支配権と城を譲り受けた。ヴィルヘルム・クリストフは、以前住んでいたホンブルクよりもビンゲンハイムを好み、主に家族と一緒にビンゲンハイムに住んでいたため、ヘッセン=ビンゲンハイム方伯とも呼ばれた。支配権を条件として、ビンゲンハイムはソフィー・エレオノーレとヴィルヘルム・クリストフの男子に継承されることとなっていたが、息子達はいずれも結婚する前に両親に先だって死去した。

ヴィルヘルム・クリストフの死後、ビンゲンハイムをめぐりヘッセン=ダルムシュタット家とヘッセン=ホンブルク家の間で対立が勃発したが、最終的にダルムシュタットの摂政であったエリーザベト・ドロテアが勝利した。

子女[編集]

  • フリードリヒ(1651年)
  • クリスティーネ・ヴィルヘルミーネ(1653年 - 1722年) - 1671年にメクレンブルク=グラーボウ公フリードリヒと結婚
  • レオポルト・ゲオルク(1654年 - 1675年)
  • フリードリヒ(1655年)
  • フリードリヒ(1656年)
  • カール・ヴィルヘルム(1658年)
  • フリードリヒ(1659年)
  • マグダレーネ・ゾフィー(1660年 - 1720年) - 1679年にゾルムス=グライフェンシュタイン伯ヴィルヘルム・モーリッツと結婚
  • フリードリヒ・ヴィルヘルム(1662年 - 1663年)

参考文献[編集]

外部リンク[編集]