セヴェリン・ローゼン

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セヴェリン・ローゼン
Severin Roesen
ローゼン作「静物、果物」(1855)
誕生日 1815年ころ
出生地 ドイツ、ボッパルト
死没年 1873年以降
死没地 没地不明
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セヴェリン・ローゼン(Severin Roesen、1815年ころ生まれ、1872年以降、所在不明[1])はドイツ生まれの、アメリカの画家である。19世紀半ばのアメリカで、静物画家として人気があった。

略歴[編集]

ラインラント=プファルツ州ボッパルトの測量士の息子に生まれた。ケルンの磁器会社で絵付けの仕事で働き、1847年に結婚し、その年、ケルンのローカルな美術クラブの展覧会に花を描いた絵を出展した。陶器の商売で失敗し、債務から逃れるために1848年にアメリカに移った。

ニューヨークの美術愛好家の団体(American Art-Union)の展示会に1848年から1852年の間に11点の作品を出展した。1849年にドイツのアルツァイ生まれの女性と再婚した。3人目の子供が生まれた1857年に家族とフィラデルフィアに移り、さらにハリスバーグなどに移り、1863年にウィリアムズポートに移った。ウィリアムズポートで静物画を教え、ジョン・F・フランシスといったペンシルベニアの画家が静物画を描く、きっかけを与え、アメリカで静物画の人気の高かった時代を作った画家たちの一人となった。

1858年にボルチモアのメリーランド歴史協会の展覧会に出展し、1863年にはペンシルベニア美術アカデミーの展覧会に出展した。1872年にウィリアムズポートを出て、所在の記録が無くなった後も、1873年に彼の作品はブルックリン芸術協会に展示されていた[2]。1872年以降の記録は残っておらず、亡くなった時期も場所も知られていない。

忘れられた画家となっていたが、1961年にファースト・レディーになったジャクリーン・ケネディがホワイトハウスのインテリアを改装した時、セヴェリン・ローゼンの作品が飾られたことによって、アメリカで脚光を浴びることになった。

作品[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Severin Roesen. In: Natalie Spassky: American Painting in the Metropolitan Museum of Art. Band 2: A Catalogue of Works by Artists Born between 1816 and 1845. Metropolitan Museum of Art, New York/NY, ISBN 978-0-87099-439-5, S. 108 (Google Books)
  2. ^ Steckbrief Nr. 191 vom 4. Februar 1848. In: Amtsblatt der Königlichen Regierung zu Düsseldorf. Jahrgang 1848, Düsseldorf, Ausgabe Nr. 8 vom 18. Februar 1848, S. 61 (Google Books)

参考文献[編集]

  • Judith Hansen O’Toole: Severin Roesen, Lewisburg, Penn.: Bucknell University Press (1992).
  • William H. Gerdts: Painters of the Humble Truth: Masterpieces of American Still Life, 1801–1939, Columbia and London: University of Missouri Press (1981).
  • Roesen, Severin. In: Hans Vollmer (Hrsg.): Allgemeines Lexikon der Bildenden Künstler von der Antike bis zur Gegenwart. * Begründet von Ulrich Thieme und Felix Becker. Band 28: Ramsden–Rosa. E. A. Seemann, Leipzig 1934, S. 499.