スーリヤ・プラサード・ウパディヤイ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

スーリヤ・プラサード・ウパディヤイ(सूर्य प्रसाद उपाध्याय, Surya Prasad Upadhyay/Upadhyaya, 1907年9月14日 - 1984年7月30日)は、ネパールの政治家。ネパール会議派に所属。

生涯[編集]

1907年9月14日、首都カトマンズで誕生した[1]

1951年モハン・シャムシェル・ジャンガ・バハドゥル・ラナ内閣で、食糧・農業各相バラト・マニ・シャルマに代わり入閣。

同年に発足したマートリカ・プラサード・コイララ内閣では、警務、放送各相を務める。

だが、1960年12月マヘンドラ国王がクーデターを起こして内閣、国会を解散し、主要な政党指導者を一時的に逮捕した際、ウパディヤイも逮捕された。

1984年7月30日ニューデリーで死亡した[2]

脚注[編集]

参考文献[編集]

関連項目[編集]