ジョドレ (俳優)

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ジョドレ
Jodelet
ジョドレ Jodelet
本名 Julien Bedeau
生年月日 (1591-10-14) 1591年10月14日
没年月日 (1660-03-26) 1660年3月26日(68歳没)
出生地 ナント
死没地 パリ
国籍 フランス
職業 俳優
ジャンル 演劇
活動期間 1603-1659
活動内容 笑劇喜劇
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ジョドレJodelet、本名 Julien Bedeau 1591年10月14日 - 1660年3月26日)は、フランスの喜劇役者。17世紀フランスにおいて、最も有名な喜劇役者の1人であった。彼を題材にとった戯曲も数多く制作されている。

生涯[編集]

※彼の生涯について、詳しいことはよくわからない。

1591年10月14日、ナントに生まれた。1603年、アンジェの劇団に見習いとして加入したことから、彼の役者人生は始まったようである。パリの演劇関係の資料に彼の名が現れるのは、マレー座が創設された1634年のことである。この記録にはマレー座の創設メンバーとして名前があるが、1635年初頭前後にオテル・ド・ブルゴーニュ座に移籍した。1641年にはマレー座に復帰し、中心役者として活動した。とくにマレー座で演じたピエール・コルネイユの『嘘つき男』では下僕役を演じ、一躍パリ劇壇で人気役者となった。1657年にはマレー座から離れ、1659年には弟のレピーとともに、パリに戻ってきたモリエール劇団に加入した。モリエール劇団では『才女気取り』において重要な役を演じ、同作品は大成功を収めるなどしたが、翌年の3月26日に老衰で息を引き取った[1]

役者としての特徴[編集]

あの人は他人を笑わすことしか考えていないみたい、
することなすこといつもめちゃくちゃで、
癖か偶然か知りませんけど、
絶えず鼻声で話します。その話し方は
わざといつもでたらめに喋ろうとするみたい。
ポール・スカロン『ジョドレ、あるいは主人になった召使』より[2]

愚直な白塗り役としては、ジョドレは良い役者である。今ではもう、彼のいるマレー座でしか笑劇は演じられないが、それも、彼がいるからこそ演じられているのだ。(中略)彼の当たり役は下僕で、ド・ヴィリエ嬢の夫であるヴィリエ、芸名フィリパンも下僕役として悪くなかったが、彼ほど鮮やかではなかった。ジョドレは鼻にかかった声でしゃべった。それというのも、かさっ気の治療をきちんと受けなかったからであるが、却ってそれが魅力となっている。 - タルマン・デ・レオー『逸話集』から[2]

この2つの評に見えるように、鼻声が特徴的な役者であったようである。ジョドレは下僕役で大成功を収めていたが、どの下僕役にも通底する特徴は「鯨飲馬食」であって、スペイン演劇におけるグラシオーソ(道化役、gracioso)の流れを受け継いでいる。

主な出演作品[編集]

  • 嘘つき男 - Le Menteur (ピエール・コルネイユ、1643年)
  • ジョドレ、あるいは主人になった召使い - Jodelet ou le Maître valet (ポール・スカロン、1643年)
  • 決闘者ジョドレ - Jodelet duelliste (ポール・スカロン、1643年)
  • 三人のドロテ、あるいは横っ面を張られたジョドレ - Trois Dorothées ou le Jodelet soufflté (ポール・スカロン、1645年)
  • 占星術師ジョドレ - Jodelet Astrologue (ドゥーヴィル、1645年)
  • 利口者 - Le Dénisaisé (ジレ・ド・ラ・テッソヌリー、1647年)
  • ドン・ベルトラン・ド・シガラル - Dom Bertrand de Cigarral (トマ・コルネイユ、1651年)
  • 己自身の牢番、あるいは王侯ジョドレ - Le Géoloer de soi-meme ou Jodelet prince (トマ・コルネイユ、1655年)
  • 喜劇なしの喜劇 - La Comédie sans Comédie (フィリップ・キノー、1655年)
  • 田舎貴族 - Le Campagnard (テッソヌリー、1656年)
  • 才女気取り - Les Précieuses ridicules (モリエール、1659年)

脚注[編集]

  1. ^ フランス十七世紀の劇作家たち 研究叢書52,中央大学人文科学研究所編,P.46、64、66,中央大学出版部,2011年
  2. ^ a b フランス十七世紀の劇作家たち P.65から引用

外部リンク[編集]