ジャン=マルク・ボスマン
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| 名前 | |||||||
| 本名 | Jean-Marc Bosman | ||||||
| カタカナ | ジャン=マルク・ボスマン | ||||||
| ラテン文字 | Jean-Marc BOSMAN | ||||||
| 基本情報 | |||||||
| 国籍 | |||||||
| 生年月日 | 1964年10月30日(47歳) | ||||||
| 選手情報 | |||||||
| ポジション | MF | ||||||
| クラブチーム1 | |||||||
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ジャン=マルク・ボスマン(Jean-Marc Bosman, 1964年10月30日 - )はベルギーの元サッカー選手。
ジャン=マルク・ボスマンはベルギーリーグ2部のRFCリエージュの凡庸な選手であったが、1990年同クラブとの2年契約が完了し、その後知り合いがオーナーを務めるフランス2部リーグのUSLダンケルクからオファーがあり移籍しようとした。ところがRFCリエージュがこの移籍に難色を示しボスマンの所有権を主張して移籍を阻止した。ボスマンは引退せざるを得なくなり、その後クラブに対して所有権の放棄を求めてベルギー国内の裁判所に訴え出た。
サッカーの移籍ルールに対して彼が起こした異議申し立ては、いわゆる「ボスマン判決」という結果をもたらした。この画期的な判決により、サッカー選手の雇用形態はそれ以前と完全に異なるものとなり、欧州連合(EU)域内のプロ選手は現在所属するチームとの契約満了と同時に自由な移籍が可能となった。
ボスマン自身はピッチ上での(選手としての)業績よりも、むしろこの判決をもたらした存在として広く知られている。なお、ボスマンは裁判には勝ったものの、この裁判によって有名になってしまい、各クラブは所属クラブとトラブルを起こしたという経歴を持つボスマンの獲得に及び腰になってしまう。裁判の後、ボスマンは二度とプロとして活躍することはなかった。