コズミン森の戦い
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| 衝突した勢力 | |||||||
| ポーランド王国 | モルダヴィア公国 | ||||||
| 指揮官 | |||||||
| ヤン1世 | シュテファン3世 | ||||||
コズミン森の戦い(ポーランド語: Bitwa pod Koźminem)とはポーランド王国とモルダヴィア公国との間で行われた戦いである。
経過 [編集]
ポーランドはオスマン帝国のバルカン進出を食い止めるべく、戦役を行おうとした矢先にモルダヴィア公国の侵入を受けた。ポーランド王ヤン1世は、モルダヴィアを統制するために、弟のジグムントをモルダヴィアの公位につけるべく、モルダヴィアに出兵しスチャヴァを包囲した。だがモルダヴィアの焦土戦術、気候の悪化による疾病の蔓延により、スチャヴァ攻囲戦は完全に失敗し、コジミン森の細い街道を退却中に、モルダヴィア軍の襲撃を受け、総動員軍の多数が戦死した。
戦後 [編集]
この敗戦により、モルダヴィアの制圧に失敗したポーランドは以後、オスマン帝国のスルタンスレイマン1世によってモルダヴィアが統制されるようになるまで、モルダヴィアの反抗に悩ませ続けられる事になる。
参考文献 [編集]
- イェジ・ルコフスキ、フベルト・ザヴァツキ『ポーランドの歴史』創土社、2007年