グレプ・スヴャトスラヴィチ (スモレンスク公)

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グレプ・スヴャトスラヴィチ
Глеб Святославич
スモレンスク大公
在位 1392年 - 1395年

出生 1355年
死去 1399年
子女 ドミトリー
家名 リューリク家
父親 スモレンスク大公スヴャトスラフ
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グレプ・スヴャトスラヴィチロシア語: Глеб Святославич1355年頃 - 1399年)は、スモレンスク大公スヴャトスラフの長男である。スモレンスク大公:1392年 - 1395年。

生涯[編集]

1386年、リトアニア大公国とのヴィフラ川の戦いに参加するが、捕虜となってリトアニアへ連行された。1389年にはヴィータウタスによってドイツ騎士団に身柄を預けられた。

1392年、スモレンスク公位に就いた。しかし1395年、リトアニアに捕縛され、スモレンスクはリトアニアに併合された。グレプはリトアニア大公国領のポロンノエ(ru)を与えられた。その後、リトアニアに属して1399年のヴォルスクラ川の戦いに参加し、死亡した。

息子のドミトリーはジジェムスキー家(ru)とソロメレツキー家(ru)、イヴァンはコルコジノフ家(ru)の祖となり、家名を残している。

参考文献[編集]

先代
ユーリー・スヴャトスラヴィチ
スモレンスク公
1392年 - 1395年
次代
ロマン