クロイツァー豊子

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クロイツァー豊子(クロイツァーとよこ、1916年2月7日 - 1990年6月16日[1])は、日本ピアニスト、音楽教育者。夫はロシア、ドイツ、アメリカ、日本で活躍したピアニスト・指揮者のレオニード・クロイツァー国立音楽大学教授を務めた[1]

来歴[編集]

東京市日本橋に生まれる。4歳よりカテリーナ・トドロヴィッチにピアノの指導を受ける。

成蹊高等女学校を卒業後、1936年にレオニード・クロイツァーの演奏を聴いて感銘を受け、その後クロイツァーに師事する。1941年にピアニストとしてデビューした。以後、1990年に満74歳で死去する直前まで演奏活動を続けた。

『ショパンリサイタル』『ドビュッシーとショパン』などのLP、CDをレコーディングした[2]

また、国立音楽大学のほか、東京芸術大学お茶の水女子大学でも講師を務めた。

夫であるクロイツァーの『芸術としてのピアノ演奏』(音楽之友社、1969年)を村上紀子と共訳した。ほかに研究論文として『ショパンにおけるアゴーギク、テンポ・ルバート、およびペダリング』がある。

脚注[編集]

  1. ^ a b コトバンク. クロイツァー 豊子.
  2. ^ 没後20年となる2010年5月には、録音が再編集され『クロイツァー豊子メモリアル~ショパン名曲集』として発売された。

参考文献[編集]