エマヌエーレ・フィリッピーニ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エマヌエーレ・フィリッピーニ
Emanuele Filippini
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1973-07-03) 1973年7月3日(50歳)
出身地 ブレシア
選手情報
ポジション MF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1992–2003 ブレシア 200 (5)
1992–1995 → オスピタレット (ローン) 87 (5)
2002–2003 パルマ (ローン) 42 (3)
2004–2005 パレルモ 20 (4)
2004–2005 ラツィオ (ローン) 27 (0)
2005–2007 トレヴィーゾ 30 (2)
2006–2007 ボローニャ (ローン) 37 (2)
2007–2009 リヴォルノ 30 (1)
通算 473 (22)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

エマヌエーレ・フィリッピーニ(Emanuele Filippini, 1973年7月3日 - )は、イタリアブレシア出身の元サッカー選手。ポジションは守備的MFアントニオ・フィリッピーニは双子の兄で、キャリアを通じほぼ同じチームでプレーした[1]

略歴[編集]

ブレシアのユースを経て、トップチームの試合でベンチに座るが、出場機会が無いまま、兄のアントニオと共に1995年までの3シーズン、オスピタレットに貸し出された[2]

1995-96シーズン、兄と共にようやくブレシアへ複帰[2]。ブレシアでは兄弟揃ってブレシアファンの人気を集めた[2]。1997-98シーズンにチームはセリエAに昇格、開幕節のインテル戦に先発し、兄弟揃ってセリエAの舞台を踏んだ。

2002-03シーズンにローンでパルマへと移籍することになり、初めて兄と別のチームでプレーすることとなった[2]。パルマ対ブレシア戦で初の兄弟対決が実現、試合はパルマが4-3で勝利した[2]。このシーズンはレギュラーとしてプレー、2003-04シーズンも多く起用されていたものの、冬の移籍市場で兄がプレーするパレルモへと移籍した[3]

その後もラツィオトレヴィーゾリヴォルノでそれぞれ兄と共にプレーしていたが、2009年に怪我を抱えていたことから引退した[2]。兄アントニオはエマヌエーレの2シーズン後に現役を退いた[2]

エピソード[編集]

ロナウドマヌエル・ルイ・コスタの二人は、運動量が多いフィリッピーニ兄弟は2人ではなく、何人も居るかのように感じられ、対戦するのが嫌だったと話していた[2]。特にロナウドは「悪夢」の様だったと話した[2]

脚注[編集]

  1. ^ これは珍しい…イタリアで「双子監督対決」が実現!”. QOLY (2018年3月25日). 2023年7月25日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i I gemelli Filippini uno contro l'altro: la prima volta che sono stati avversari”. GOAL (2023年7月3日). 2023年7月25日閲覧。
  3. ^ Emanuele Filippini 2003-04”. Transfermarkt. 2023年7月25日閲覧。