アンナ・シュウエル

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アンナ・シュウエル

アンナ・シュウエルAnna Sewell1820年3月30日 - 1878年4月25日)はイギリスの女流作家。生涯唯一の小説黒馬物語』で知られる。

人物[編集]

シュウエルはイングランドノーフォークグレート・ヤーマスで生まれた。クエーカーの家庭で2人兄弟、2歳年下の弟フィリップ・シュウエルは設計士としてヨーロッパの鉄道敷設に携わっていた。父は何度も事業に失敗したため、一家は何度かの引越しをしている[1]

14歳の時、雨の中を学校から帰る途中に転んだ怪我が元で両足首を痛めたが、無理をした結果両足が不自由になってしまい、歩くことができなくなった彼女は馬車を多用するようになった。シュウエルはポニーに馬車を引かせて父を鉄道駅まで送迎していたという[1]。そしてそのことは彼女のに対する愛情と動物への人道的な取り扱いに深く関わることになる。

彼女は未婚であるかあるいは子供がいなかったとされる。しかしフィリップが何人かの子供を残して亡くなってしまったため、実家で母マリー・ライト・シュウエルと共に子供の面倒をみていた[1]。アンナは母マリーを非常に慕っており、マリーは児童向け福音書の作家であったため、アンナは編集を手伝っていたという。クエーカーとしてアンナとマリーは慈善活動も活発であった。また彼女はヨーロッパ各地の温泉湯治をしながら、多くの作家芸術家哲学者たちに出会い、かつては触れることのなかった知識を深めた。

シュウエルの唯一の出版作であり代表作である小説黒馬物語』は1871年から1877年にかけて執筆された。この間に彼女の健康は衰え、寝台から起き上がることも困難なほどになっていたため自身で執筆することはできなくなると、口承によりマリーに書き留めてもらい、1876年からマリーは本格的な執筆を始めた。

完成した小説をシュウエルは1877年11月24日、地元の出版社ジャロルド・アンド・ソンズに40ポンドで売り込んだ。57歳の時であった。現在この小説は児童向けの古典小説と考えられているが、当時の彼女は馬に携わった人々を読者と考えていたという。アンナは「この小説には馬への思いやり、共感、待遇への理解を説いた特別な狙いがある」と述べている[2]。この小説は発売されると人気を博し当時の売上記録を更新、現在でも「英語で書かれた史上6番目のベストセラー」とされている[3]

シュウエルは出版の5ヵ月後、1878年4月25日肝炎または肺結核で死亡したが、存命中にこの小説の成功を認めるには十分な期間があった。同月30日にはノーフォーク州バクストンに近いランマスのクエーカー埋葬地に葬られた。入り口の壁には現在も彼女の名前が記されている。

彼女の生誕地であるグレート・ヤーマスの土地は現在は博物館となっている。彼女はブリストル市ウィックのブルーロッジで10年間を過ごしたが、現在はゴルフ場となっている同地のトレイシー公園は小説に登場するバートウィック公園(Birdwick Park)のモデルと考えられている。

1866年から彼女が没するまで過ごしたオールドカットン(現在はノリッチの一部となっている)にあるコテージは当時の佇まいを残している。他にノリッチ市の施設としてシュウエル・バーン劇場(Sewell Barn Theatre)があり、兄フィリップが所有していた劇場である。またシュウエル公園(Sewell Park)という小さな公園も1909年7月19日に開かれ、変わった三角形でかたどられた花崗岩石の水飼葉桶はシュウエル一家の献花用に用いられている。

参考文献[編集]

以下の文献は英語版からの抽出です。

  • Adrienne Gavin: A dark horse: the life of Anna Sewell, 2004, ISBN 0750928387
  • Adrienne Gavin: Oxford Dictionary of National Biography
  • E. B. Wells and A. Grimshaw: The annotated 'Black Beauty' , 1989, ISBN 0851314384

出典[編集]

  1. ^ a b c アンナ・スウエル:著、久米譲:訳 『黒馬物語』 講談社 1984年 ISBN 9784061807174
  2. ^ Mrs Bayly: The life and letters of Mrs Sewell, 1889, pp. 272
  3. ^ アンナ・シューエル:著、阿部和江:訳 『黒馬物語 BLACK BEAUTY』 文園社 2003年 ISBN 9784893361882

関連項目[編集]

外部リンク[編集]