アロイス・ラシーン

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アロイス・ラシーン

アロイス・ラシーン(Alois Rašín、1867年10月18日 - 1923年2月18日)は、チェコスロバキアの政治家、経済学者大蔵大臣(1918-1919、1922-1923)。国民民主党所属。


経歴[編集]

ボヘミア北東部ネハニツェ生まれ。カレル大学卒業。1911年、オーストリア帝国議会議員に選出。第一次世界大戦中、チェコの分離独立運動を支持し、1915年カレル・クラマーシュらとともに反逆罪で死刑判決を受ける。1917年、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の死去による恩赦で釈放される。

アントニーン・シュヴェフライジー・ストシーブルニーフランチシェク・ソウクプヴァヴロ・シロヴァールとともにチェコスロバキア国民委員会を作り、1918年10月の建国を国内で主導した。

クラマーシュ政権およびシュヴェフラ第1次政権で大蔵大臣に就任。通貨安定とインフレ抑制を目指して徹底的なデフレ政策を実施した。この政策はチェコスロバキア経済の安定化に寄与した一方で、多くの失業者を生む結果をもたらし、左派勢力から強い批判を浴びた。1923年1月5日無政府主義者のヨゼフ・ショウパルに銃撃され、その怪我が原因で翌月に死去した。

息子のラジスラフも国民民主党所属の国会議員を務めた。