アブシンチン

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(+)-Absinthin
識別情報
CAS登録番号 13624-21-0
PubChem 442138
日化辞番号 J31.882E
特性
化学式 C30H40O6
モル質量 496.635 g mol−1
特記なき場合、データは常温 (25 °C)・常圧 (100 kPa) におけるものである。

(+)-アブシンチン(Absinthin)はニガヨモギArtemisia absinthium)に含まれる天然有機化合物である。アブシンチンはニガヨモギで香りをつけたリキュールアブサン (absinthe) の特徴的な味の元となる最も苦い物質の中の一つである[1]。本化合物は生理活性を示し、抗炎症薬として期待されている[2]。アブサンに含まれる精神活性であるツヨンと混同してはならない。

化学構造[編集]

アブシンチン (1) の複雑な構造はセスキテルペンラクトンに分類される。テルペノイドは、イソプレン (4) 由来の炭素数5のビルディングブロック (3) から構築される天然物の大きな分類である。この複雑な構造は、2つの同一なモノマー(2)が、グアイアノリドの5員環とアルケンとのディールス・アルダー反応によって構築される。

アブシンチン (1) の生合成に関わるイソプレノイドの構造

アブシンチンは1953年に単離され[3][4]、1980年にBeauhaireらによって構造決定された[5][6][7][8]

全合成[編集]

(+)-アブシンチンの全合成は2004年にZhangらによって達成された[9]。この合成は、市販のサントニン (Santonin) を出発原料として、計10段階、総収率18.6%だった。この合成の基盤は、原料の6員環の7員環への環拡大によるグアイアノリドモノマー (2) 骨格の構築であり、続くディールス・アルダーカップリング (3) および最終段階の立体配置の改変によって (+)-アブシンチン (4) が得られた。

Zhangらによるアブシンチンの全合成経路[9]

生合成[編集]

アブシンチンのニガヨモギにおける生合成の全経路は明らかにされていないが、その大部分はアブシンチン生合成に必要な前駆体から推測可能である。アブシンチンの様なテルペノイドはイソプレン単位から構成されている(イソプレンそのものが反応するわけではなく、イソペンテニル二リン酸の形で使われる)。テルペンの命名法が示すように、アブシンチンの最初の前駆体であるファルネシル二リン酸 [A] は炭素数15(イソプレン単位3)である。このジホスフェート (1) はカルボカチオンを酵素内で発生させ (1)、分子内の末端と炭素-炭素結合を形成し環化する (2)。ヨモギ属における生合成経路での最初の安定な中間体はゲルマクレンA (Germacrene A) [B] と考えられている。ゲルマクレンAは植物セスキテルペン合成経路においてグアイアノリドの前駆体であることが以前同定されている[10]。ここから、ヒドロキシル化 (3)、アルデヒドへの酸化 (4)、さらなるヒドロキシル化 (5)、そしてカルボキシル基の形成が起こる。ここで (4) の後、末端の炭素-炭素二重結合が消失していることが重要である。この二重結合が失われたことによって、アブシンチンモノマーが得られるか他のゲルマクレンAの下流の化合物が得られるかが決まる。この還元は (4) の段階で起こる必要はなく、もっと後でもよい。次に、一般的なグアイアノリド経路で提唱されているように、カルボキシル基とヒドロキシル基との脱水縮合反応 (7) によりγ-ラクトン [C] が合成される[11]。ヒドロキシル化と二重結合の異性化 (8,9) によるアブシンチンセスキテルペングアイアノリドモノマー [D] の形成は、ディールス・アルダー反応 (10) による二量化でのアブシンチン [E] の合成に必要である。このディールス・アルダー反応は自発的によい収率で起こるが、関連合成酵素により促進されていると思われる[9]。にもかかわらず、典型的な天然物の生合成に比べて遅い。

ヨモギ属における同様のグアイアノリド生合成経路から推定されたアブシンチンの生合成経路

In vitroでこのセスキテルペンの合成を再現できるニガヨモギに特異的な酵素はまだ単離されていないが、上に示された反応経路はセスキテルペンラクトンであるゲルマクレンAの生合成経路における中間体を用いて推定されている。上記の反応経路の各番号に相当するテルペン生合成酵素は以下の通りである:

  1. 一般的なセスキテルペン合成酵素によるファルネシル二リン酸からの生合成の開始[12]
  2. #1同様に一般的なセスキテルペン合成酵素による閉環[12]
  3. ゲルマクレンAヒドロキシラーゼ (P450) による末端アリル位炭素のヒドロキシル化[12]
  4. ゲルマクレンAヒドロキシラーゼによるアルコールのアルデヒドへの酸化[12]
  5. ゲルマクレンAヒドロキシラーゼによるアルコールのカルボン酸への酸[12]
  6. NADPH依存的なアリル位炭素のヒドロキシル化によるラクトン環形成に必要なヒドロキシル基の導入[12]
  7. ラクトン環形成/閉環[12]
  8. 三置換炭素-炭素二重結合の酸化
  9. 5員環の形成/環化[10]
  10. ニガヨモギ中の未同定酵素によるディールス・アルダーカップリング

脚注[編集]

  1. ^ Lachenmeier DW, Walch SG, Padosch SA, Kröner LU (2006). “Absinthe--a review”. Crit. Rev. Food Sci. Nutr. 46 (5): 365–77. doi:10.1080/10408690590957322. PMID 16891209. http://www.informaworld.com/smpp/content~db=all?content=10.1080/10408690590957322. 
  2. ^ Bazhenova E.D., Ashrafova R. A., Aliev K. U., Tulyaganov, P. D. (1977). Chem. Abstr. 87: 193909f. 
  3. ^ V. Herout, F. Sorm (1953). Collect. Czech. Chem. Commun. 18: 854. 
  4. ^ V. Herout, F. Sorm (1954). Collect. Czech. Chem. Commun. 19: 792. 
  5. ^ J. Beauhaire, J. L. Fourrey, M. Vuilhorgne, J. Y. Lalleman (1980). “Dimeric sesquiterpene lactones : Structure of absinthin”. Tetrahedron Lett. 21 (33): 3191-3194. doi:10.1016/S0040-4039(00)77442-9. 
  6. ^ J. Beauhaire, J. L. Fourrey, J. Y. Lellemand, M. Vuilhorgne (1981). “Dimeric sesquiterpene lactone. Structure of isoabsinthin acid isomerization of absinthin derivatives”. Tetrahedron Lett. 22 (24): 2269-2272. doi:10.1016/S0040-4039(01)92907-7. 
  7. ^ Z. Karimov (1985). Kristallografiya 30: 682. 
  8. ^ Z. Karimov, S. Z. Kasymov, M. R. Yagudaev, G. P. Sidyakin (1980). Khimiya Prirodnykh Soedinenii 729. 
  9. ^ a b c Zhang W, Luo S, Fang F, et al. (January 2005). “Total synthesis of absinthin”. J. Am. Chem. Soc. 127 (1): 18–19. doi:10.1021/ja0439219. PMID 15631427. http://pubs.acs.org/doi/abs/10.1021/ja0439219. 
  10. ^ a b de Kraker JW, Franssen MC, de Groot A, Konig WA, Bouwmeester HJ (August 1998). “Germacrene A biosynthesis. The committed step in the biosynthesis of bitter sesquiterpene lactones in chicory”. Plant Physiol. 117 (4): 1381–92. doi:10.1104/pp.117.4.1381. PMC 34902. PMID 9701594. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC34902/. 
  11. ^ Kelsey, R.G.; Shafizadeh, F. (1979). “Sesquiterpene Lactones and Systematics of the Genus Artemisia”. Phytochemistry 18: 1591–1611. doi:10.1016/0031-9422(79)80167-3. 
  12. ^ a b c d e f g de Kraker JW, Franssen MC, Dalm MC, de Groot A, Bouwmeester HJ (April 2001). “Biosynthesis of germacrene. A carboxylic acid in chicory roots. Demonstration of a Cytochrome P450. Germacrene a hydroxylase and NADP+-dependent sesquiterpenoid dehydrogenase(s) involved in sesquiterpene lactone biosynthesis”. Plant Physiol. 125 (4): 1930–40. doi:10.1104/pp.125.4.1930. PMC 88848. PMID 11299372. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC88848/.