アドリアーン・ファン・ローエン

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Adriaan van Royen

アドリアーン・ファン・ローエン(Adriaan van Royen、1704年11月11日 - 1779年2月28日)は、オランダ医師植物学者である。

生涯[編集]

ライデンに生まれた。ライデン大学ヘルマン・ブールハーフェに植物学と医学を学んだ。1728年に医学の学位をとり、1729年に植物学の教員となった。1729年にブールハーフェの後をついで、ライデン植物園(Hortus botanicus Leiden)の園長に任じられた。1732年に植物学と医学の教授になり、1754年まで、教授、植物園長の職を続けた。その後植物園長の職は甥のダヴィッド・ファン・ローエン(David van Royen)に引き継がれた。1775年までライデン大学の植物学の教授を続けた。ライデン大学の学長も務めた。

ファン・ローエンが園長を務めていた1736年にライデン植物園は2230m2から7165m2に拡張され、アムステルダム植物園、ユトレヒト植物園に並ぶものになり、植物学、医学の教育に利用された。1736年に植えられたマメガキ(伝説のロートスの木に由来する学名を持つ)は現在も育っている。

カール・フォン・リンネと同時代の植物学者で、リンネは1735年と1738年の間にたびたびライデン植物園を訪れた。1737年の冬から1738年にかけて、リンネはファン・ローエンの家に滞在し、植物園の展示方法について助言した。リンネによって、RoyenaカキノキDiospyrosシノニム)に献名された。

参考文献[編集]

  • Hortus Academicus Lugduno-Batavus, 1587-1937, H. Veendorp & L.G.M. Baas Becking, 1938、増補版 1990 by C. Kalkman, ISBN 90-71236-05-6
  • De Leidse Hortus, een botanische erfenis, W.K.H. Karstens & H. Kleibrink, Waanders, 1982, ISBN 9070072920