「根尾谷断層」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
KOTO(1893) へのリンクなど
4行目: 4行目:
[[File:Neodani Fault Relief Map (Marked), SRTM-1.gif|thumb|根尾谷断層周辺の地形図]]
[[File:Neodani Fault Relief Map (Marked), SRTM-1.gif|thumb|根尾谷断層周辺の地形図]]
[[File: Trench of the Neodani Fault at Midori (northwestern side).JPG|thumb|地震断層観察館で見られる断層のトレンチ壁面(北西方向を望む)]]
[[File: Trench of the Neodani Fault at Midori (northwestern side).JPG|thumb|地震断層観察館で見られる断層のトレンチ壁面(北西方向を望む)]]
'''根尾谷断層'''(ねおだにだんそう)は、[[岐阜県]][[本巣市]]根尾地域を中心とする[[活断層]]である。市内の水鳥(みどり)地区の断層崖は国指定の[[特別天然記念物]]に指定されている。1891年に起きた[[濃尾地震]]の地震断層であり、'''日本最大の地震断層'''である<ref>{{Cite web|url=https://www.city.motosu.lg.jp/0000001137.html|title=天然記念物|accessdate=2021/07/05}}</ref>。地質学的にも貴重である。
'''根尾谷断層'''(ねおだにだんそう)は、[[岐阜県]][[本巣市]]根尾地域を中心とする[[活断層]]である。市内の水鳥(みどり)地区の断層崖は国指定の[[特別天然記念物]]に指定されている。1891年に起きた[[濃尾地震]]の地震断層であり{{sfn|井関.守屋(1968)}}、'''日本最大の地震断層'''である<ref>{{Cite web|url=https://www.city.motosu.lg.jp/0000001137.html|title=天然記念物|accessdate=2021/07/05}}</ref>。地質学的にも貴重である。


== 概要 ==
== 概要 ==
[[1891年]](明治24年)[[10月28日]]午前6時38分50秒に、根尾地域を[[震央]]として発生した[[濃尾地震]]の地震断層である。
[[1891年]](明治24年)[[10月28日]]午前6時38分50秒に、根尾地域を[[震央]]として発生した[[濃尾地震]]の地震断層である。


この地震により数十kmに渡って地表地震断層が現れた。総延長距離約80km、活動一回あたりの最大左横ずれ変位量8m、最大上下変位量6mに及ぶ大規模な断層である。濃尾地震は、M8.0という日本史上最大の[[内陸地殻内地震]](直下型地震)であったが、その地震断層である根尾谷断層も日本最大の地震断層となった<ref>世界大百科事典 第2版</ref>。
この地震により数十kmに渡って地表地震断層が現れた。総延長距離約80km、活動一回あたりの最大左横ずれ変位量8m、最大上下変位量6mに及ぶ大規模な断層である。濃尾地震は、M8.0という日本史上最大の[[内陸地殻内地震]](直下型地震)であったが、その地震断層である根尾谷断層も日本最大の地震断層となった<ref>世界大百科事典 第2版</ref>{{sfn|岡田篤正|1987}}


この根尾谷断層以前に地震断層について記録されたものが無いため、日本で確認できる最古の地震断層として記録されている。また地震直後に記録写真が国内外の地震学[[教科書]]などに引用されたため世界的に知られることとなり、世界各国からも地震学の研究者も多数訪れている。
この根尾谷断層以前に地震断層について記録されたものが無いため、日本で確認できる最古の地震断層として記録されている。また地震直後に記録写真が国内外の地震学[[教科書]]などに引用されたため世界的に知られることとなり、世界各国からも地震学の研究者も多数訪れている{{sfn|井関.守屋(1968)}}{{sfn|岡田篤正|1987}}


記録写真は複数撮影されているが、[[小藤文次郎]]が論文 (Koto(1893))に掲載したものが海外に紹介されたことで、日本をはじめ世界中の教科書に掲載されて有名になった<ref>{{Cite web|title=濃尾地震と根尾谷断層: 水鳥~平野|url=http://chigaku.ed.gifu-u.ac.jp/chigakuhp/html/kyo/chisitsu/neodani/docs/midorihirano.html|website=chigaku.ed.gifu-u.ac.jp|accessdate=2021-07-05}}</ref>。この写真の撮影者については、[[小川一真]]・[[瀬古安太郎]]・[[日下部金兵衛]]と複数の説がある<ref>{{Cite journal|和書|title=小藤論文の濃尾地震根尾谷断層写真について|author=榎本祐嗣|journal=歴史地震|issue=21|date=2006|publisher=歴史地震研究会|pages=219-222|url=http://www.histeq.jp/kaishi_21/P219-222.pdf|format=PDF|accessdate=2021-07-18}}</ref>。
記録写真は複数撮影されているが、[[小藤文次郎]]が論文 {{harv|Koto(1893)}}に掲載したものが海外に紹介されたことで、日本をはじめ世界中の教科書に掲載されて有名になった{{sfn|岡田篤正|1987}}<ref>{{Cite web|title=濃尾地震と根尾谷断層: 水鳥~平野|url=http://chigaku.ed.gifu-u.ac.jp/chigakuhp/html/kyo/chisitsu/neodani/docs/midorihirano.html|website=chigaku.ed.gifu-u.ac.jp|accessdate=2021-07-05}}</ref>。この写真の撮影者については、[[小川一真]]・[[瀬古安太郎]]・[[日下部金兵衛]]と複数の説がある<ref>{{Cite journal|和書|title=小藤論文の濃尾地震根尾谷断層写真について|author=榎本祐嗣|journal=歴史地震|issue=21|date=2006|publisher=歴史地震研究会|pages=219-222|url=http://www.histeq.jp/kaishi_21/P219-222.pdf|format=PDF|accessdate=2021-07-18}}</ref>。

1965年、断層の南端部の犬山に名古屋大学の犬山地震観測所が設置され{{sfn|大井田ほか|1971}}、以後 常時微小地震の観測が継続されている<ref>[https://www.seis.nagoya-u.ac.jp/center/outline/center_history.html 地震火山研究センター 沿革] 名古屋大学大学院</ref>


[[2007年]](平成19年)5月10日、日本の地質百選選定委員会が「[[日本の地質百選]]」の第1期選定として全国83箇所を選定(3月)した結果が発表されたが、その1つとして、根尾谷断層も選ばれた。
[[2007年]](平成19年)5月10日、日本の地質百選選定委員会が「[[日本の地質百選]]」の第1期選定として全国83箇所を選定(3月)した結果が発表されたが、その1つとして、根尾谷断層も選ばれた。
26行目: 28行目:
== 脚注 ==
== 脚注 ==
{{Reflist}}
{{Reflist}}

==参考文献==
* {{Cite journal|和書 |author=KOTO B. |title=On the cause of the Great earthquake in central Japan, 1891. |journal=J. Sci. Coll. Imp. Univ.(帝國大學紀要. 理科) |publisher=College of Science, Imperial University|year=1893 |volume=5 |pages=295-353 |naid=10007193278 |doi=10.15083/00037587 |url=https://doi.org/10.15083/00037587 |ref={{harvid|KOTO(1893)}}}}
* {{Cite journal|和書|author=井関弘太郎, 守屋以智雄 |title=根尾谷断層に関する資料 |journal=地學雜誌 |ISSN=0022-135X |publisher=東京地学協会 |year=1968 |volume=77 |issue=3 |pages=155-165 |naid=130000797547 |doi=10.5026/jgeography.77.3_155 |url=https://doi.org/10.5026/jgeography.77.3_155 |ref={{harvid|井関.守屋(1968)}}}}
* {{Cite journal|和書|author=大井田徹, 山田功夫, 多田堯, 伊藤潔, 杉山公造, 佐々木嘉三 |title=中部地方の微小地震活動 (1):根尾谷断層周辺の微小地震活動 |journal=地震 第2輯 |ISSN=0037-1114 |publisher=日本地震学会 |year=1971 |volume=24 |issue=3 |pages=240-247 |naid=130006786154 |doi=10.4294/zisin1948.24.3_240 |url=https://doi.org/10.4294/zisin1948.24.3_240 |ref={{harvid|大井田ほか|1971}}}}
* {{Cite journal|和書|author=岡田篤正 |title=濃尾地震断層系根尾谷断層 |journal=活断層研究 |ISSN=0918-1024 |publisher=日本活断層学会 |日本活断層学会 |year=1987 |volume=1987 |issue=4 |pages=71-90 |naid=130003355453 |doi=10.11462/afr1985.1987.4_71 |url=https://doi.org/10.11462/afr1985.1987.4_71 |ref=harv}}


==関連項目==
==関連項目==

2021年12月13日 (月) 10:28時点における版

写真中央を斜めに走る段差が根尾谷断層
濃尾地震発生当時の根尾谷断層
断層付近
根尾谷断層周辺の地形図
地震断層観察館で見られる断層のトレンチ壁面(北西方向を望む)

根尾谷断層(ねおだにだんそう)は、岐阜県本巣市根尾地域を中心とする活断層である。市内の水鳥(みどり)地区の断層崖は国指定の特別天然記念物に指定されている。1891年に起きた濃尾地震の地震断層であり[1]日本最大の地震断層である[2]。地質学的にも貴重である。

概要

1891年(明治24年)10月28日午前6時38分50秒に、根尾地域を震央として発生した濃尾地震の地震断層である。

この地震により数十kmに渡って地表地震断層が現れた。総延長距離約80km、活動一回あたりの最大左横ずれ変位量8m、最大上下変位量6mに及ぶ大規模な断層である。濃尾地震は、M8.0という日本史上最大の内陸地殻内地震(直下型地震)であったが、その地震断層である根尾谷断層も日本最大の地震断層となった[3][4]

この根尾谷断層以前に地震断層について記録されたものが無いため、日本で確認できる最古の地震断層として記録されている。また地震直後に記録写真が国内外の地震学教科書などに引用されたため世界的に知られることとなり、世界各国からも地震学の研究者も多数訪れている[1][4]

記録写真は複数撮影されているが、小藤文次郎が論文 (Koto(1893))に掲載したものが海外に紹介されたことで、日本をはじめ世界中の教科書に掲載されて有名になった[4][5]。この写真の撮影者については、小川一真瀬古安太郎日下部金兵衛と複数の説がある[6]

1965年、断層の南端部の犬山に名古屋大学の犬山地震観測所が設置され[7]、以後 常時微小地震の観測が継続されている[8]

2007年(平成19年)5月10日、日本の地質百選選定委員会が「日本の地質百選」の第1期選定として全国83箇所を選定(3月)した結果が発表されたが、その1つとして、根尾谷断層も選ばれた。

場所

岐阜県本巣市根尾水鳥(みどり)地区(北緯35度37分00秒 東経136度37分11秒 / 北緯35.61667度 東経136.61972度 / 35.61667; 136.61972座標: 北緯35度37分00秒 東経136度37分11秒 / 北緯35.61667度 東経136.61972度 / 35.61667; 136.61972)。樽見鉄道樽見線水鳥駅付近に、断層が渡っている。後述の地震断層観察館・体験館は、同駅から徒歩2分の地点にある。

地震断層観察館・体験館

1992年3月、根尾谷断層に関する博物館「地震断層観察館・体験館」がオープンした。

脚注

  1. ^ a b 井関.守屋(1968).
  2. ^ 天然記念物”. 2021年7月5日閲覧。
  3. ^ 世界大百科事典 第2版
  4. ^ a b c 岡田篤正 1987.
  5. ^ 濃尾地震と根尾谷断層: 水鳥~平野”. chigaku.ed.gifu-u.ac.jp. 2021年7月5日閲覧。
  6. ^ 榎本祐嗣「小藤論文の濃尾地震根尾谷断層写真について」(PDF)『歴史地震』第21号、歴史地震研究会、2006年、219-222頁、2021年7月18日閲覧 
  7. ^ 大井田ほか 1971.
  8. ^ 地震火山研究センター 沿革 名古屋大学大学院

参考文献

  • KOTO B.「On the cause of the Great earthquake in central Japan, 1891.」『J. Sci. Coll. Imp. Univ.(帝國大學紀要. 理科)』第5巻、College of Science, Imperial University、1893年、295-353頁、doi:10.15083/00037587NAID 10007193278 
  • 井関弘太郎, 守屋以智雄「根尾谷断層に関する資料」『地學雜誌』第77巻第3号、東京地学協会、1968年、155-165頁、doi:10.5026/jgeography.77.3_155ISSN 0022-135XNAID 130000797547 
  • 大井田徹, 山田功夫, 多田堯, 伊藤潔, 杉山公造, 佐々木嘉三「中部地方の微小地震活動 (1):根尾谷断層周辺の微小地震活動」『地震 第2輯』第24巻第3号、日本地震学会、1971年、240-247頁、doi:10.4294/zisin1948.24.3_240ISSN 0037-1114NAID 130006786154 
  • 岡田篤正「濃尾地震断層系根尾谷断層」『活断層研究』第1987巻第4号、日本活断層学会、1987年、71-90頁、doi:10.11462/afr1985.1987.4_71ISSN 0918-1024NAID 130003355453 

関連項目

外部リンク