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2014年11月9日 (日) 05:12時点における版
蛭子山古墳(えびすやまこふん)は京都府与謝郡与謝野町にある前方後円墳[1]。発掘には梅原末治が当たった[2]。1930年7月8日に国の史跡に指定された[1]。
造成は4世紀、古墳時代前期[2]。全長はおよそ145メートルで、部位別にみると後円部の直径100メートル、高さ約13メートルで、前方部は幅62メートル、高さ約10メートル[2]。この古墳のサイズは丹後地方においては網野銚子山古墳、神明山古墳に次ぐ第3位に相当し[2]、「巨大前方後円墳」として分類される[3]。花崗岩製の石棺は後円部で発見され、副葬品も共に発掘された[2]。遺物には鉄器も含まれていた[2][4]。内訳は鏡、直刀、剣身、鉄鏃、鉄斧[2]。
この地域において、段築(3段[2])、葺き石および円筒埴輪の3つを備えた古墳としては初期の部類にあたる[3]。埴輪は外周部では円形に配置され、内側では形象埴輪も見られるとともに、方形に配置されていた[5]。
すぐ南の作山古墳群(つくりやま- )とともに復元と整備が行われた結果、1992年11月[6]より与謝野町立古墳公園となっており、はにわ資料館が設置され遺物の展示なども行われている[7][8]。
脚注
- ^ a b 蛭子山古墳 - 国指定文化財等データベース(文化庁)。2014年11月9日閲覧。
- ^ a b c d e f g h “えびすやまこふん【蛭子山古墳】”. コトバンク. 2014年11月9日閲覧。
- ^ a b 広瀬和雄『前方後円墳国家』角川書店〈角川選書〉、2003年、226-227頁 。
- ^ 川村眞一「山梨縣丸山古墳の遺物概括」『人類學雜誌』第56巻、第8号、日本人類学会、401-412頁、1941年 。
- ^ 前掲(広瀬 2003, pp. 101–102)。
- ^ “与謝野町文化財保存活用基本計画 - 文化財保護から文化遺産の活用へ-” (PDF). 与謝野町教育委員会. p. 12 (2008年6月17日). 2014年11月9日閲覧。
- ^ “与謝野町立古墳公園はにわ資料館とは”. コトバンク. 2014年11月9日閲覧。
- ^ “古墳公園はにわ資料館”. 与謝野町. 2014年11月9日閲覧。
関連項目
外部リンク
座標: 北緯35度30分25.5秒 東経135度6分16.9秒 / 北緯35.507083度 東経135.104694度