高密公主

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
高密公主
続柄 高祖第四皇女

称号 高密公主
身位 公主
出生 不詳
死去 永徽6年(655年
埋葬 昭陵
配偶者 長孫孝政
  段綸
子女 段蕑壁
父親 高祖
テンプレートを表示

高密公主(こうみつこうしゅ)は、中国の高祖李淵の四女。

生涯[編集]

はじめ琅邪公主に封ぜられ、長孫孝政(長孫澄の子の長孫始の子)に降嫁した。のちに段綸(段文振の子)に降嫁した。永徽6年(655年)、自分の墓を東向きに造り、父の陵墓である献陵を望めるように遺言して没した。のちに段綸とともに昭陵に陪葬された。

段綸と高密公主のあいだの娘として、邳国夫人段蕑壁(617年 - 651年)がいた。

伝記資料[編集]

  • 新唐書』巻83 列伝第8「諸帝公主伝」