西尾京子

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西尾 京子
生誕 天保15年8月3日
1844年9月14日
東京
死没 大正2年
1913年7月8日)
68歳没
東京
医学関連経歴
専門 助産師

西尾 京子(にしお きょうこ、1844年9月14日 - 1913年7月8日)は、日本の助産婦。明治から大正にかけて約30年にわたり産婆として活躍するとともに、東京府産婆会の副会長や幹事を務めた。

経歴・人物[編集]

明治17年(1884年)に東京府の産婆免許状、さらに明治20年(1887年)内務省の免許を取得し、産婆を開業した。また、向上心に富み、明治24年(1891年)帝国大学医科大学(現東京大学医学部)婦人科の産婆養成所に入学、翌明治25年に第二期生として卒業した[1]

義侠心に富む腕利きの産婆として地域で知られていた。日清戦争期には、従軍者の妻女を無料で救済したり貧困家族の嬰児を引き取ったりしていたことが報じられ[2]、また若き母親の役に立つものとして、嬰児の泣声についての同氏の研究談が掲載されている[3]

東京府産婆会の副会長や幹事を務めるとともに、早産児の保育に関し、「育たぬ早産児を育てる器機」と称する保育器を発明するなどの功績があったことが伝えられている[4]

脚注[編集]

  1. ^ 「嗚呼西尾京子女史」『産婆学雑誌』 (8月の巻)(153), p30~33
  2. ^ 「義侠産婆西尾京子」『読売新聞』(1895年2月8日3面)
  3. ^ 「嬰児の啼聲 産婆の研究談」『読売新聞』(1906年10月13日3面)
  4. ^ 『近代名士之面影』 第1集, 矢部信太郎 編, 竹帛社, 大正3, p20~21,

参考文献[編集]

  • 『近代名士之面影』 第1集, 矢部信太郎 編, 竹帛社, 大正3, p20~21, NDLJP:967109/43
  • 「嗚呼西尾京子女史」『産婆学雑誌』 (8月の巻)(153), p30~33, NDLJP:1528702/18

外部リンク[編集]