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立花 不白(たちばな ふはく、生年不詳 - 享保19年5月19日(1734年6月20日))は、江戸時代の茶人で、福岡藩士。諱は道暠(みちあきら)。通称は太左衛門。立花実山(重根)の子。号は虚谷斎。叔父の立花峯均と父の実山に南坊流を学び2代目をとなる。
叔父の立花峯均と父の実山に南坊流を学ぶ。父の実山が宝永4年(1707年)に隠居し家督を相続した。翌年父が幽閉されると家禄を没収され、吉田久太夫利房にお預けとなり、宗像郡村山田村(現・宗像市村山田)に幽閉された。正徳3年(1713年)7月に赦免された。