田宮重正

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田宮 重正(たみや しげただ、生没年不明)は、戦国時代剣客抜刀田宮流の祖である(流名を田宮流と称したのは二代目田宮長勝)。

関東の出身であり、初め、東下野守元治に学んだ[1]。林崎重信(林崎甚助)の五大高弟の一人。また、田宮の居合は美しく、美の田宮と賞賛された。

名前[編集]

『日本武藝小傳・増補改定武芸流派大辞典』綿谷雪によれば次のとおり。

  • 田宮平兵衞重正(上州岩田村出身)
    • :始め業正のち成正(『張藩武術師系録』による)
    • 一書:成政・茂正・重政

本朝武芸小伝[編集]

『本朝武藝小傳』卷六 刀術では、次のとおり重正は当時の柄の平均的な長さよりも三寸程長い長柄の刀を考案、推奨したという。

田宮平兵衞重正
田宮平兵衞重正者關東人也、從林崎重信得抜刀之妙實盡變入神、後改對馬、
北條早雲記曰、勝吉北條五代記曰長柄刀のはじまる仔細は明神老翁に現じ長づかの益あるを林崎勘助勝吉といふ人に傳へ給ふ長柄刀さしはじめ田宮平兵衞成正といふ者是を傳ふる、成正長柄刀をさし諸國兵法修行し、柄に八寸の徳、身腰にさんぢうの利、其外神妙祕術を傳へしより以後、長柄刀を皆人さし給へり、然に成正が兵法第一の神妙奥義と云は、手に叶ひなばいかほども長きを用ひべし、勝事一寸ましと傳たり、 — 『本朝武藝小傳』卷六 刀術 抜粋

脚注[編集]

  1. ^ 編者・新人物往来社『剣の達人 111人データファイル』2002年、76頁