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==史跡 == |
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=== 赤地蔵 === |
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比佐豆知菅原神社から平尾ルートの車道を約500m進み、右脇の山道に入って約350mの祠の中にある地蔵。村人が村のいたる所に埋もれていた地蔵を発見し、一堂に集めた。婦人病を始め、万病に効くとされる。地蔵には真っ赤なベンガラが塗られているが、それは利益のおかげで病に打ち勝った人がお礼として塗ったものである。『八百比丘尼伝説』に関連があるとされる。 |
比佐豆知菅原神社から平尾ルートの車道を約500m進み、右脇の山道に入って約350mの祠の中にある地蔵。村人が村のいたる所に埋もれていた地蔵を発見し、一堂に集めた。婦人病を始め、万病に効くとされる。地蔵には真っ赤なベンガラが塗られているが、それは利益のおかげで病に打ち勝った人がお礼として塗ったものである。『八百比丘尼伝説』に関連があるとされる。 |
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=== 旧常明寺跡 === |
=== 旧常明寺跡 === |
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「旧淨明寺跡」とも書く。安濃町草生平尾集落山奥深く、標高240メートル前後の北東に延びる尾根傾斜面に立地する。草生天神から登山道を登り、町第三配水地を経ると、所在地である字「古屋敷」に到着する。常明寺は織田信長の伊勢侵攻の際、焼き討ちに遭い焼失した。江戸期には寺付近に20戸近くの民家があったといわれているが、安政地震で山崩れが発生したため、村人は麓の平尾へ移転した。13世紀前半頃 鎌倉期の山茶碗などが発掘されていて、他に瓦片、近世陶磁器も採集されている。常明寺の本尊と言われる、市指定有形文化財大日如来と四菩薩坐像は平安時代(10〜11世紀)に造像されたとされ、安濃町内でも最古の仏像である。 |
「旧淨明寺跡」とも書く。安濃町草生平尾集落山奥深く、標高240メートル前後の北東に延びる尾根傾斜面に立地する。草生天神から登山道を登り、町第三配水地を経ると、所在地である字「古屋敷」に到着する。常明寺は織田信長の伊勢侵攻の際、焼き討ちに遭い焼失した。江戸期には寺付近に20戸近くの民家があったといわれているが、安政地震で山崩れが発生したため、村人は麓の平尾へ移転した。13世紀前半頃 鎌倉期の山茶碗などが発掘されていて、他に瓦片、近世陶磁器も採集されている。常明寺の本尊と言われる、市指定有形文化財大日如来と四菩薩坐像は平安時代(10〜11世紀)に造像されたとされ、安濃町内でも最古の仏像である。 |
2021年7月22日 (木) 07:26時点における版
史跡
赤地蔵
比佐豆知菅原神社から平尾ルートの車道を約500m進み、右脇の山道に入って約350mの祠の中にある地蔵。村人が村のいたる所に埋もれていた地蔵を発見し、一堂に集めた。婦人病を始め、万病に効くとされる。地蔵には真っ赤なベンガラが塗られているが、それは利益のおかげで病に打ち勝った人がお礼として塗ったものである。『八百比丘尼伝説』に関連があるとされる。
旧常明寺跡
「旧淨明寺跡」とも書く。安濃町草生平尾集落山奥深く、標高240メートル前後の北東に延びる尾根傾斜面に立地する。草生天神から登山道を登り、町第三配水地を経ると、所在地である字「古屋敷」に到着する。常明寺は織田信長の伊勢侵攻の際、焼き討ちに遭い焼失した。江戸期には寺付近に20戸近くの民家があったといわれているが、安政地震で山崩れが発生したため、村人は麓の平尾へ移転した。13世紀前半頃 鎌倉期の山茶碗などが発掘されていて、他に瓦片、近世陶磁器も採集されている。常明寺の本尊と言われる、市指定有形文化財大日如来と四菩薩坐像は平安時代(10〜11世紀)に造像されたとされ、安濃町内でも最古の仏像である。