「ランブレッタ」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
38行目: 38行目:
{{脚注ヘルプ}}
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
{{Reflist}}

== 外部リンク ==
*[https://sygnhouse.jp/ 旧輸入元「サインハウス」]
*[https://motorists.jp/ 新輸入元「モータリスト合同会社」]
:2018年よりバイク用品・パーツの製造販売会社「株式会社サイン・ハウス」が日本での総輸入販売元となった。その後2020年12月に、サイン・ハウス社が輸入車両販売事業を新会社「モータリスト合同会社」に分離独立させ、日本での全ビジネスを当該会社に移管した。


{{Motorcycle-stub}}
{{Motorcycle-stub}}

2021年1月10日 (日) 00:21時点における版

モデルD (1952年式)
Li125スペシャル (1966年式)

ランブレッタは、イタリアの自動車メーカー、レイランド・イノチェンティが製造販売していたスクーターの製品名である。名前の由来は工場のあったミラノのランブラーテという地名である。

スウェーデンのCapella Industries社[1]からは同ブランドの時計が販売されている。

概要

1922年ペーシャフェルディナント・イノチェンティローマに鋼管工場を建設。1931年には約6000人を雇用し、シームレス鋼管を製造する大きな工場をミラノに建設し、事業を移転した。第二次世界大戦中に工場は重爆撃により破壊された。破壊された工場の調査で、イノチェンティは手軽に自分で移動する将来を見るため、低価格で天候にも左右されない誰でも運転できるオートバイとしてスクーターの製造を決めたといわれている。

長い年月を経て、1947年にランブレッタを創設。その後、フランスのフェンウィックグループ、ドイツのNSU、スペインのセルベタ、インドのAPI、台湾の裕隆汽車、ブラジルのパスコ、コロンビアのアウテコ、アルゼンチンのサイアムブレッタ、チリでライセンス生産を始めている。

1960年代後半に入ると西ヨーロッパの富裕層が増加し、スクーターの需要は落ち込み、多くの人々の需要は小型車に移行した。ランブレッタの部門は親会社イノチェンティで財政難の元となっていた。ブリティッシュ・レイランドは、製品と技術者の専門知識と同様にイノチェンティの財政難の利点を獲得すると、BLMCのライセンスの下でイノチェンティの自動車の製造する契約を取った。

1971年にはランブレッタの製造を中止し、1972年にはミラノ工場とランブレッタの名の権利はインド政府に買収され、SIL(スクーターズ・インディア・リミテッド)が設立された。

2010年にランブレッタは125GPレースで復活している。

モデル

  • モデルA
  • モデルB
  • モデルC/LC
  • モデルD
  • モデルLD
  • モデルE
  • モデルF
  • TVシリーズ1
  • Liシリーズ1
  • Liシリーズ2
  • TVシリーズ2
  • Liシリーズ3
  • Liスペシャル
  • SX150
  • SX200
  • TV/GT200
  • GP/DL 125 150 200

脚注

  1. ^ Klockor online - Vi har klockor på nätet” (スウェーデン語). Lambretta Watches. 2020年2月16日閲覧。

外部リンク

2018年よりバイク用品・パーツの製造販売会社「株式会社サイン・ハウス」が日本での総輸入販売元となった。その後2020年12月に、サイン・ハウス社が輸入車両販売事業を新会社「モータリスト合同会社」に分離独立させ、日本での全ビジネスを当該会社に移管した。