「泣いて馬謖を斬る」の版間の差分

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「どんなに優秀な者であっても、私怨私情で法や規律を曲げて責任を不問にすることがあってはいけない」という意味で使用されることが多い。
「どんなに優秀な者であっても、私怨私情で法や規律を曲げて責任を不問にすることがあってはいけない」という意味で使用されることが多い。

== 正しい意味 ==
そもそも孔明が泣いた理由は、「優秀な家臣でも軍律維持のため切らねばならないから」ではなく、「'''家臣に能力が無かったことを見極められずに用いてしまったから'''」である。したがって、正しい意味は「'''(孔明のような)立派な人物でも過ちを犯すもの'''」である。


[[Category:三国志|ないてはしよくをきる]]
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2006年9月24日 (日) 11:56時点における版

  1. 泣いて馬謖を斬る(ないてばしょくをきる)は、故事成語のひとつ。
  2. プロレス興行のマッスルに出場しているプロレスラー趙雲子龍の技。


成語の経緯

出典:三国志『蜀志 馬謖伝』

三国時代武将である馬謖が、街亭の戦いで諸葛亮の指示に背いて独断で布陣し敗戦を招いた責任で処刑された。愛弟子であった馬謖の処刑に際し諸葛亮は涙を流したという。他の武将達の中には「馬謖ほどの有能な将を」と処刑を慰留する者もいたが、諸葛亮は「軍律の遵守が最優先」と処刑に踏み切った。

現在の日本における一般的な使い方

「どんなに優秀な者であっても、私怨私情で法や規律を曲げて責任を不問にすることがあってはいけない」という意味で使用されることが多い。