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2019年4月5日 (金) 20:01時点における版
アンナ・アンゲリナ Anna Angelina | |
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ニカイア皇后 | |
配偶者 | イサキオス・コムネノス |
ニカイア皇帝テオドロス1世ラスカリス | |
子女 |
テオドラ・アンゲリナ イレーネー・ラスカリナ マリア・ラスカリナ エウドキア・ラスカリナ ニコラス ヨハネス |
父親 | 東ローマ皇帝アレクシオス3世アンゲロス |
母親 | エウフロシネ・ドゥーカイナ・カマテラ |
アンナ・アンゲリナ(Anna Angelina, 生没年不詳)は、東ローマ帝国皇帝アレクシオス3世アンゲロスと皇后エウフロシネ・ドゥーカイナ・カマテラの娘。
生涯
最初はイサキオス・コムネノス(皇帝マヌエル1世コムネノスの甥の子)と結婚し、1女テオドラ・アンゲリナをもうけた。結婚後まもなく1195年に、父アレクシオスは皇帝となり、夫イサキオスはワラキア=ブルガリア反乱の鎮圧に派遣された。イサキオスは捕らえられ、ブルガリア人とワラキア派の間で身代金をぶらさげた捕虜となり、鎖につながれて死んだ。
2度目の夫はニカイア帝国皇帝テオドロス1世ラスカリスで、1200年初めに、アンナの妹エイレーネーとアレクシオス・パレオロゴスの結婚式と同時に行われた。
アンナとテオドロスには2男3女が生まれた。
- イレーネー・ラスカリナ - 最初の夫は将軍アンドロニコス・パレオロゴス。2度目の夫はニカエア皇帝ヨハネス3世ドゥーカス・ヴァタツェス
- マリア・ラスカリナ - ハンガリー王ベーラ4世妃
- エウドキア・ラスカリナ
- ニコラス
- ヨハネス