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{{Ancient monuments in Rome |
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|name= バシリカ・マクセンティ<br/>Basilica Maxentii |
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|location=[[フォロ・ロマーノ|フォルム・ロマヌム]] |
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|date=312年 |
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|builder=[[マルクス・アウレリウス・ウァレリウス・マクセンティウス|マクセンティウス]]、[[コンスタンティヌス1世]] |
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|type=公会堂([[バシリカ]]) |
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|image=Map of downtown Rome during the Roman Empire large.png |
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|caption=平面図 |
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|text=<div style="color: #151B8D; text-align: center; vertical-align: top; padding: 0px; margin: 0px;">[[File:Red_pog.svg|15px|link=]]</div> |
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<div style="font-size:0.9em;">フォルム・ロマヌム内での位置(赤丸)</div> |
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{{Image label end}} |
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[[File:Dehio 6 Basilica of Maxentius Floor plan.jpg|thumb|right|250px|平面図]] |
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[[File:Basilica di Massenzio e Costantino 09feb08 05.jpg|thumb|right|250px|北側廊 筒型ヴォールトの八角形の[[格間]]]] |
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'''マクセンティウスのバシリカ'''({{lang-la|Basilica Maxentii}},{{lang-it|Basilica di Massenzio}})は[[古代ローマ]]時代に[[フォロ・ロマーノ|フォルム・ロマヌム]]に建てられた公会堂([[バシリカ]])。'''コンスタンティヌスのバシリカ'''({{lang-la|Basilica Constantiniana}})や'''新バシリカ'''({{lang-la|Basilica Nova}})と表記されることもある。 |
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==歴史== |
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マクセンティウスのバシリカは、[[テトラルキア]]時代のローマ帝国皇帝[[マルクス・アウレリウス・ウァレリウス・マクセンティウス|マクセンティウス]]が308年に北側部分より建設を始め、[[ミルウィウス橋の戦い]]でマクセンティウスを破って帝国を再統一した皇帝[[コンスタンティヌス1世]]が、312年に完成させた。この時すでに使われなくなっていたと思われる[[ウェスパシアヌスのフォルム]](平和の神殿)と、[[ウェヌスとローマ神殿]]の間に建てられている。 |
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バシリカの建物全体のサイズは幅65m×高さ100mであり、建物中央の[[身廊]]は幅25m×奥行き80m×高さ39mという巨大なものであった。身廊は4本の巨大な柱で支えられた{{仮リンク|交差ヴォールト|en|Groin vault}}の天井となっており、西端部の[[アプス]]には、高さ12mという巨大なコンスタンティヌス1世像([[:en:Colossus of Constantine|Colossus of Constantine]])が置かれていた。また、[[側廊]]の天井は身廊方向を向いた筒型[[ヴォールト]]となっている。 |
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建物の東側はアーケード、南側は4本の柱で支えられた{{仮リンク|プロスタイル|en|Prostyle}}式の門となっていた。 |
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中央の身廊および南側の側廊は、847年の地震でほぼ倒壊したと考えられている<ref>René Seindal [http://sights.seindal.dk/sight/177_Basilica_of_Maxentius.html "Basilica of Maxentius - the last and largest basilica in the Roman Forum"], ''Photo Archive'', 2003-08-06, accessed November 7, 2010.</ref>。また、1349年の地震で身廊の天井は完全に倒壊したようである。最後まで残っていた高さ20mの支柱は、教皇[[パウルス5世 (ローマ教皇)|パウルス5世]]が手がけた[[サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂]]の建築に流用された。現在残っているのは北側の[[側廊]]部と、コンクリート製の筒型[[ヴォールト]]だけである<ref>Roth, Leland M. (1993). Understanding Architecture: Its Elements, History and Meaning (First ed.). Boulder, CO: Westview Press. pp. 30, 222. ISBN 0-06-430158-3.</ref>。この天井は重量を軽くするため、内面に八角形の[[格間]]を設けるなど、高度な建築技術が用いられている。 |
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[[古代ローマ]]で[[バシリカ]]の役割は、その巨大な中央ホール部分(身廊部)を利用しての[[元老院]]議事堂や[[裁判]]の場、あるいは会議場であった。壁に沿ったニッチ([[壁龕]])には様々な[[ローマ神話|ローマ神]]の像が置かれているのが普通であった。キリスト教を公認した[[コンスタンティヌス1世]]や、その後継者たちは、この[[バシリカ]]の建築様式を[[教会堂]]の建築に適用した。後に、「バシリカ」とは巨大な教会堂建築の建築様式を指す言葉に変容した。 |
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現在、マクセンティウスのバシリカの外壁は茶褐色を呈しているが、破壊される前の色は白であった。現在、{{仮リンク|フォリ・インペリアリ通り|en|Via dei Fori Imperiali}}側の壁面には、[[ベニート・ムッソリーニ]]が作らせた時代別のローマ帝国の全体図が4枚掲げられているが、ムッソリーニの夢であった「新ローマ帝国想定図」は取り外されている。 |
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==建築技術== |
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マクセンティウスのバシリカは建設時点で(単体の建物としては)最大の建造物であり、[[トラヤヌスの市場]]や[[ディオクレティアヌス浴場]]の築造で得られた最新の技術を投入した作品であった。同種の建築物である[[バジリカ・ウルピア]]等と比較して、アーチ構造の屋根で覆われた巨大な空間を持っており、従前のバシリカではなく[[ローマ浴場]]の空間形態に似ていた。つまり、丸屋根にすることで荷重を効率的に柱に分散させる技術を用いていたということである。 |
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== 関連項目 == |
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*[[フォロ・ロマーノ|フォルム・ロマヌム]] |
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;ローマ市内の古代ローマ時代のバジリカ |
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*[[バシリカ・アエミリア]] |
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*[[バシリカ・ユリア]] |
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*[[バジリカ・ウルピア]] |
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*[[マクセンティウスのバシリカ]](この記事) |
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==参考文献== |
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{{Commons|Basilica of Maxentius and Constantine (Rome)}} |
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{{reflist}} |
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{{Template:フォルム・ロマヌム}} |
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{{DEFAULTSORT:まくせんていうすのはしりか}} |
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[[Category:ローマの古代建築物]] |
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[[Category:4世紀の建築物]] |
2016年1月24日 (日) 12:35時点における版
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