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[[1586年]]、父が[[戸次川の戦い]]で戦死すると[[豊臣秀吉]]から所領相続を認められずに改易され、流浪の身となる。[[1615年]]、[[大坂の役|大坂の陣]]に豊臣方として参陣し、[[摂津国|摂津]]尼崎で戦死した。
[[1586年]]、父が[[戸次川の戦い]]で戦死すると[[豊臣秀吉]]から所領相続を認められずに改易され、流浪の身となる。[[1615年]]、[[大坂の役|大坂の陣]]に豊臣方として参陣し、[[摂津国|摂津]]尼崎で戦死した。


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2006年3月2日 (木) 20:41時点における版

十河存英(そごうながひで、天正3年(1575年) - 元和元年(1615年))は安土桃山時代の人。十河存保の子。

1586年、父が戸次川の戦いで戦死すると豊臣秀吉から所領相続を認められずに改易され、流浪の身となる。1615年大坂の陣に豊臣方として参陣し、摂津尼崎で戦死した。