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長慶の死後は他の三人衆と共に[[足利義輝]]暗殺に共謀するなど、行動を共にした。[[織田信長]]が上洛してくるとこれに徹底して対立し、[[1570年]]には四国における三好軍をまとめたり、ライバル関係にあった松永久秀と同盟するなど、反信長サイドの一角を担った。しかしそれでも、強大な勢力を誇る信長の前では最後のあがきにしか過ぎなかった。1573年、信長が派遣してきた軍勢と戦い、敗北し戦死した。
長慶の死後は他の三人衆と共に[[足利義輝]]暗殺に共謀するなど、行動を共にした。[[織田信長]]が上洛してくるとこれに徹底して対立し、[[1570年]]には四国における三好軍をまとめたり、ライバル関係にあった松永久秀と同盟するなど、反信長サイドの一角を担った。しかしそれでも、強大な勢力を誇る信長の前では最後のあがきにしか過ぎなかった。1573年、信長が派遣してきた軍勢と戦い、敗北し戦死した。


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2006年3月2日 (木) 20:37時点における版

三好長逸(みよしながやす、永正12年(1515年) - 天正元年(1573年))は三好氏の家臣。三好三人衆の一人。

三好一族の一人で、三好之長の孫で、三好長光の子にあたるという。

1520年、祖父と父が戦死したため家督を相続する。その後は三好長慶に仕えて、長慶の勢力拡大に貢献したという。長逸は三好一族の中でも、長慶に厚く信頼されて同名衆に列せられ、三好義賢松永久秀よりも先に従四位に叙せられたといわれている。

長慶の死後は他の三人衆と共に足利義輝暗殺に共謀するなど、行動を共にした。織田信長が上洛してくるとこれに徹底して対立し、1570年には四国における三好軍をまとめたり、ライバル関係にあった松永久秀と同盟するなど、反信長サイドの一角を担った。しかしそれでも、強大な勢力を誇る信長の前では最後のあがきにしか過ぎなかった。1573年、信長が派遣してきた軍勢と戦い、敗北し戦死した。