「フランス人民戦線」の版間の差分

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== 経緯 ==
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[[1935年]]左派政党が連合して議会内の派閥を形成する。当時非共産主義を主張していた[[ナチス・ドイツ]]への警戒もあり、同年[[仏ソ相互援助条約]]を締結する。[[1936年]]の[[総選挙]]では[[フランス共産党|共産党]]をはじめとする左派政党が圧勝し、現代政治史上初の革命によらない社会主義政権が誕生した。新首相には社会党の[[レオン・ブルム|ブルム]]が就任した。共産党は閣外協力という形で政権に参加した。
[[1935年]]左派政党が連合して議会内の派閥を形成する。当時非共産主義を主張していた[[ナチス・ドイツ]]への警戒もあり、同年[[仏ソ相互援助条約]]を締結する。[[1936年]]の[[総選挙]]では[[フランス共産党|共産党]]をはじめとする左派政党が圧勝し、現代政治史上初の革命によらない社会主義政権が誕生した。新首相には社会党の[[レオン・ブルム|ブルム]]が就任した。共産党は閣外協力という形で政権に参加した。またこのとき女性3名が入閣している。フランス史上初めての女性閣僚であったが、婦人に投票権が与えられたのは[[1944年]]になってからである


しかし[[1936年]]7月に発生した[[スペイン内戦]]への対応をめぐって、不干渉を主張する[[エドゥアール・ダラディエ|ダラディエ]]の率いる[[急進党]]と、積極的な[[スペイン人民戦線|人民戦線]]政府支援を求めるフランス共産党の関係は悪化し、[[1937年]]6月にブルム内閣は総辞職し、フランスの人民戦線は崩壊した。
しかし[[1936年]]7月に発生した[[スペイン内戦]]への対応をめぐって、不干渉を主張する[[エドゥアール・ダラディエ|ダラディエ]]の率いる[[急進党]]と、積極的な[[スペイン人民戦線|人民戦線]]政府支援を求めるフランス共産党の関係は悪化し、[[1937年]]6月にブルム内閣は総辞職し、フランスの人民戦線は崩壊した。

2011年3月9日 (水) 04:04時点における版

フランス人民戦線Front populaire)は1936年1937年までフランスにて存続した「反ファシズム」を掲げたフランス社会党急進社会党フランス共産党など諸政党の連合政権

経緯

1935年左派政党が連合して議会内の派閥を形成する。当時非共産主義を主張していたナチス・ドイツへの警戒もあり、同年仏ソ相互援助条約を締結する。1936年総選挙では共産党をはじめとする左派政党が圧勝し、現代政治史上初の革命によらない社会主義政権が誕生した。新首相には社会党のブルムが就任した。共産党は閣外協力という形で政権に参加した。またこのとき女性3名が入閣している。フランス史上初めての女性閣僚であったが、婦人に投票権が与えられたのは1944年になってからである。

しかし1936年7月に発生したスペイン内戦への対応をめぐって、不干渉を主張するダラディエの率いる急進党と、積極的な人民戦線政府支援を求めるフランス共産党の関係は悪化し、1937年6月にブルム内閣は総辞職し、フランスの人民戦線は崩壊した。