「鉄血演説」の版間の差分

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「ドイツがプロイセンに注目しているのは、その自由主義ではなく、力なのであります。現下の大問題(ドイツの統一)は、言論や多数決によってではなく、'''鉄'''(武器)と'''血'''(兵士)によってのみ解決されるでありましょう。」
「ドイツがプロイセンに注目しているのは、その自由主義ではなく、力なのであります。現下の大問題(ドイツの統一)は、言論や多数決によってではなく、'''鉄'''(武器)と'''血'''(兵士)によってのみ解決されるでありましょう。」

以後、ビスマルクは'''鉄血政策'''と呼ばれる富国強兵・対外強硬策を推進して、[[デンマーク]]・[[オーストリア]]・[[フランス]]を破り、[[ドイツ帝国]]の樹立へと邁進する事になる。


== 関連項目 ==
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2005年11月20日 (日) 03:14時点における版

鉄血演説(てっけつえんぜつ)とは、軍備拡張を進めるプロイセン政府の予算案を議会に否決され、これを受けて当時のプロイセン首相オットー・フォン・ビスマルク1862年9月の下院予算委員会で議員を前にして行った演説の一部である。

議会を無視し、軍備拡張を強行したビスマルクの人となりを如実に表したものである。(→ドイツ統一

「ドイツがプロイセンに注目しているのは、その自由主義ではなく、力なのであります。現下の大問題(ドイツの統一)は、言論や多数決によってではなく、(武器)と(兵士)によってのみ解決されるでありましょう。」

以後、ビスマルクは鉄血政策と呼ばれる富国強兵・対外強硬策を推進して、デンマークオーストリアフランスを破り、ドイツ帝国の樹立へと邁進する事になる。

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