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2008年9月24日 (水) 09:36時点における版
ビュイック(オールズモビル)製のV8・2500ccエンジンをベースに開発したF1レース用エンジンは、1966年と1967年のF1チャンピオンを獲得している。SOHCの2,500ccで出力は低かったものの、F1の規定が1,500ccから3,000ccに改訂されたばかりで混乱しているさなか、レプコエンジンは圧倒的な信頼性を発揮した。
オーストラリア出身のF1ドライバー、ジャック・ブラバムが自チームのマシンにレプコエンジンを採用。瞬間的な速さではロータスやフェラーリに一歩譲るものの、ほとんどメカトラブルを発生しないレプコエンジンの信頼性が功を奏し1966年の世界チャンピオンを獲得した。これによりブラバムは自分が製作したマシンで世界チャンピオンを獲得した史上初(現在のところ史上唯一)のドライバーになった。翌年はブラバムチームの同僚であるデニス・ハルムがチャンピオンを獲得している。しかし1968年以降はライバルのエンジンも信頼性を獲得。出力の低いレプコエンジンは劣勢となる。結局レプコエンジンの世界タイトルは1966年から1967年の2年のみ。
このF1用レプコエンジンの開発者は、2輪の名車ビンセントの設計も行った天才的エンジニア、フィル・アービングである。ビンセントは市販バイクとして初めて時速200キロが可能な超高速バイクだったが、アービングは「ビンセント社の社長(フィル・ビンセント)は世界一を誇示したがったが、設計者である私が最も重視したのは信頼性である。それはレプコエンジンでも同じだった」と述べている。