「ソニン (清)」の版間の差分

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m よく分からないのでノートで説明してください
m Florian氏の5月18日15:42(UTC)の発言に説明有り。英語版(記事名Sonin)にはモンゴル文字の画像もあります。まさかモンゴル文字の解字を説明しろと?
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'''ソニン''' ('''索尼''' ?-[[1667年]]) は、[[清朝]]初期の重臣。漢字表記は索尼。[[ヘシェリ氏]]。正黄旗満洲。
'''ソニン''' ('''Sonin'''、'''索尼''' ?-[[1667年]]) は、[[清朝]]初期の重臣。漢字表記は索尼。[[ヘシェリ氏]]。正黄旗満洲。


1661年[[順治帝]]が亡くなり[[康熙帝]]が即位すると、先帝の遺詔により、幼い皇帝の補佐として、[[スクサハ]]、[[エビルン]]、[[オボイ]]とともにソニンが選ばれた。四人の力関係は微妙な均衡を保っていたが、1667年にソニンが死ぬと、まもなくオボイが覇権を握るようになった。
1661年[[順治帝]]が亡くなり[[康熙帝]]が即位すると、先帝の遺詔により、幼い皇帝の補佐として、[[スクサハ]]、[[エビルン]]、[[オボイ]]とともにソニンが選ばれた。四人の力関係は微妙な均衡を保っていたが、1667年にソニンが死ぬと、まもなくオボイが覇権を握るようになった。

2007年5月21日 (月) 14:42時点における版

ソニン (Sonin索尼 ?-1667年) は、清朝初期の重臣。漢字表記は索尼。ヘシェリ氏。正黄旗満洲。

1661年順治帝が亡くなり康熙帝が即位すると、先帝の遺詔により、幼い皇帝の補佐として、スクサハエビルンオボイとともにソニンが選ばれた。四人の力関係は微妙な均衡を保っていたが、1667年にソニンが死ぬと、まもなくオボイが覇権を握るようになった。

康熙年間の重臣ソンゴトは息子。また、孫が康熙帝に嫁いでいる。