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'''ヘンリク4世'''([[1258年]] - [[1290年]][[6月23日]]、在位は[[1288年]] - 1290年)は[[ポーランド王国]]・[[ピャスト朝]]の[[国王]]。[[ヘンリク2世]]の孫。
'''ヘンリク4世'''([[1258年]] - [[1290年]][[6月23日]])は[[ポーランド王国]]・[[ピャスト朝]]の[[国王]](在位:[[1288年]] - 1290年)。[[ヘンリク2世]]の孫。


1288年、祖父がポーランドを懸命に守ろうとした経緯があることから、国民の要請を受けてクラクフ侯となり、国王として即位することとなった。即位後は分裂状態にあるポーランドの統一に全力を注いだが、在位わずか2年にして死去した。
1288年、祖父がポーランドを懸命に守ろうとした経緯があることから、国民の要請を受けてクラクフ侯となり、国王として即位することとなった。即位後は分裂状態にあるポーランドの統一に全力を注いだが、在位わずか2年にして死去した。
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[[Category:ポーランドの君主|へんりく4]]
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[[Category:1290年没|へんりく4]]
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2007年5月20日 (日) 19:31時点における版

ヘンリク4世1258年 - 1290年6月23日)はポーランド王国ピャスト朝国王(在位:1288年 - 1290年)。ヘンリク2世の孫。

1288年、祖父がポーランドを懸命に守ろうとした経緯があることから、国民の要請を受けてクラクフ侯となり、国王として即位することとなった。即位後は分裂状態にあるポーランドの統一に全力を注いだが、在位わずか2年にして死去した。

先代
レシェック2世
ポーランド君主一覧
ピャスト朝
1288 - 1290
次代
ヴァーツラフ2世