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彼のデビューは1969年ベトナム戦争中のウィリアム・カリー中尉によるミライ村村民虐殺事件の暴露であった。当時ディスパッチ・ニュース・サービスという小さな個人通信社の記者であった彼は借金をしながら証言者を求め全米を廻って記事を書いた。 |
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1970年度ピューリツァー賞受賞 |
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2007年4月7日 (土) 23:48時点における版
セイモア・マイロン・”サイ”ハーシュ
- Seymour Myron "Sy" Hersh
- 1937年4月8日シカゴ生まれ
- 調査報道記者
(英語版WIKIの記事は素晴らしいが、誤りや過不足が含まれる。この記事も記憶に基づく書きかけで訂正予定がある)
彼のデビューは1969年ベトナム戦争中のウィリアム・カリー中尉によるミライ村村民虐殺事件の暴露であった。当時ディスパッチ・ニュース・サービスという小さな個人通信社の記者であった彼は借金をしながら証言者を求め全米を廻って記事を書いた。 1970年度ピューリツァー賞受賞
その後ニューヨーク・タイムズ紙の特別記者(記事のノルマがない=I.F.ストーンのように)として採用され、数々の大記事をスクープする。 (以下のスクープには、NYタイムズ時代で無いものを含む)
- CIAの国内スパイ計画「ケイオス作戦」を暴露。(ただし、記事の誤りが多いとされ、ピューリツァー賞はなし。)
- 多国籍企業報道(後にロッキード事件に発展)
- プロジェクト・ジェニファー(ソ連原子力潜水艦回収作戦)
- 新聞王ロバート・マックスウェルの正体とイスラエルの核武装(直後にマックスウェルは怪死)(イスラエルの核は200発)(さりげなく台湾の核武装という重要記事が入っている)
- イラクの米軍アブ・サヤブ刑務所における虐待
- ウォーターゲート事件のスクープ(ウッドスタイン・コンビに及ばず)
- 大韓航空機事件の内幕
- ラベル空軍大将による北ベトナム無断爆撃事件