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内弟子修行時代に[[盧山初雄]](極真空手道連盟[[極真館]]館長、元・国際空手道連盟[[極真会館]]最高顧問)と出会い、今現在も付き合いが続いている。
内弟子修行時代に[[盧山初雄]](極真空手道連盟[[極真館]]館長、元・国際空手道連盟[[極真会館]]最高顧問)と出会い、今現在も付き合いが続いている。

[[Category:空手家|くらもと なりはる]]

2007年2月7日 (水) 01:32時点における版

倉本成春(くらもと なりはる)は、1950年4月5日兵庫県伊丹市出身の空手家で、脩己會最高師範。

10歳の時、地元にあった糸東流の空手道場に入門する。共に通い始めた同級生たちがやめていく中、空手修行を続け、中学二年で初段、高校二年で二段を取得する。1967年、高校を卒業して上京、中村日出夫門下に入り内弟子となる。中村門下では茶帯から再スタートし、3年後、中村から初段を許される。以後1972年までの6年間、稽古時間8~10時間、平均睡眠時間4時間という空手三昧の日々を経験する。

1972年11月、中村門下の内弟子としての修行を終え、地元・兵庫に戻る。兄の商いを手伝う一方で、空手道の鍛練に精進し、中国拳法の修行者、剣道の師範など、種々の武道家や格闘家たちと親交を深める。

1986年5月、神戸市東灘区に空手道場を開設する。神戸祭りのパレードなど、様々な演武会を各地で開催し、鍛え上げられた身体を武器として、土管やブロックなどを砕き割る演武を披露し、高い評価を得る。

2000年1月林正秀とともに脩己會を設立する。

内弟子修行時代に盧山初雄(極真空手道連盟極真館館長、元・国際空手道連盟極真会館最高顧問)と出会い、今現在も付き合いが続いている。