池田長仍
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池田 長仍(いけだ ながゆき、享保10年10月8日(1725年11月12日)- 寛政8年1月22日(1796年3月1日)[1])は、岡山藩の家老。片桐池田家第6代当主。
父は岡山藩家老池田長處。母は側室。正室は生坂藩主池田政晴の娘。子は土倉一之室。養子は池田長玄。幼名広助。通称は主殿、大和、近江。
生涯
[編集]享保10年(1725年)、岡山藩家老池田長處の子として周匝に誕生した。庶子として生まれたため、家臣大沢治右衛門に預けられて養育された。享保17年(1732年)、藩主池田継政の命で父長處の嫡子となる。享保18年(1733年)、藩主継政に御目見する。宝暦4年(1754年)閏2月、長處の隠居により家督相続し、岡山藩家老、周匝2万2000石の領主となる。宝暦5年(1755年)9月、仕置家老となる。宝暦13年(1763年)7月、仕置家老を辞任する。明和3年9月、再び仕置家老となる。明和7年(1770年)、名を大和と改める。安永10年(1781年)、[通称を近江と改める。寛政元年(1789年)3月、隠居して家督を弟長玄に譲る。寛政8年(1796年)没。
人物
[編集]藩主池田治政は茶の湯に熱心な数寄大名として知られ、長仍も茶の湯を嗜み、速水流の開祖速水宗達とも交流があった。
脚注
[編集]- ^ 『岡山県通史 下編』(岡山県通史刊行会、1962年)p.311
参考文献
[編集]- 『池田老臣累記』
- 『備前家老略伝』