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昭懿貴妃(しょういきひ、生没年不詳)は、明の成祖永楽帝の貴妃。姓は張氏。
靖難の変で戦死した将軍張玉(英国公を追贈された)の娘。
生年と婚年について記録がないが、永楽3年(1405年)以前に朱棣の側室となった[1]。永楽7年(1409年)に貴妃となったが、その後は記録がない。
諡が2字だけなので、殉死者である可能性は低いが、洪熙・宣徳年間に記録がなく、早世か刑死した、あるいは追放されたと考えられている。
- ^ 燕王時代と考えられている。