劉鈞

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睿宗 劉鈞
北漢
第2代皇帝
王朝 北漢
在位期間 954年 - 968年8月23日
姓・諱 劉承鈞→劉鈞
諡号 孝和皇帝
廟号 睿宗
生年 天成元年(926年
没年 天会12年7月27日
968年8月23日
世祖
后妃 郭皇后
年号 乾祐 : 954年 - 956年
天会 : 957年 - 968年

劉 鈞(りゅう きん)は、十国北漢の第2代皇帝。廟号睿宗。世祖劉旻の次男。

生涯[編集]

史書の記載によれば初名は劉承鈞で、穏やかな性格で読書を好み、書法に通じていたとされる。乾祐7年(954年)、世祖の崩御に伴い、より漢(北漢)の皇帝に封じられた。即位に伴い劉鈞と改名し、遼帝に対しては「男」と称し、遼からの下詔では「児皇帝」と表記されている。

即位後は国力の充実に努め、郭無為宰相に任じ、南方への軍事行動を削減するなどの政策を実施した。さらに遼に対しても世祖の代に比べ独立志向を強め、その援助が削減される傾向があった。また957年には天会と改元している。

天会12年(968年)、病により崩御した。享年43。姉妹の子から養子にした劉継恩が皇位を継承した。

先代
世祖
北漢の第2代皇帝
954年 - 968年
次代
少主