劉玢
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殤帝 劉玢 | |
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南漢 | |
第2代皇帝 | |
王朝 | 南漢 |
在位期間 |
大有15年4月24日 - 光天2年3月8日 (942年6月10日 - 943年4月15日) |
都城 | 興王府 |
姓・諱 | 劉弘度→劉玢 |
諡号 | 殤帝 |
生年 | 乾亨4年(920年) |
没年 |
光天2年3月8日 (943年4月15日) |
父 | 高祖 |
母 | 昭儀趙氏 |
年号 | 光天 : 942年 - 943年 |
劉 玢(りゅう ひん)は、十国南漢の第2代皇帝。もとの諱は弘度。
生涯
[編集]乾亨4年(920年)、初代皇帝の高祖劉龑の三男として生まれる。兄の劉耀枢と劉亀図が早世したため、大有15年(942年)に父が死ぬと帝位を継承した。しかし暗愚で政務を顧みず、実権は四弟の劉弘熙が握っていた。このため各地で南漢に対する反乱が起こり、最終的には光天2年(943年)に劉弘熙に殺された。享年24。皇位は劉弘熙が継いだ。
宗室
[編集]父母
[編集]- 父:劉龑(高祖)
兄弟
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