内藤 忠辰(ないとう ただとき、生没年不詳)は、幕末の幕臣。通称、茂之助。
嘉永7年(1854年)1月、納戸頭より佐渡奉行となり、同5月6日に着任。通称をのちに新十郎と改名。知行は200石、役料1500俵百人扶持。安政6年(1859年)まで在勤したと思われる。その後、普請奉行に転任した。