コンテンツにスキップ

佐藤孝尚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

佐藤 孝尚(さとう たかなお、1933年1月19日 - )は、水球選手。1956年に、慶應義塾大学法学部政治学科を卒業した。1960年ローマオリンピック日本代表にも選ばれたが、予選敗退となった。1964年東京オリンピックのときは、強化コーチを務め、民放テレビの解説者もした。

ほかに、全日本高校選手権、全日本選手権、アジア大会、ユニバーシアードにも出場し、数々の大会でチーム主将を務めた。1986年からは、トライアスロン競技にも参加し、63歳になるまで大会参加を続けた。

経歴

[編集]

日本国内

[編集]
  • 全日本高校選手権            
    • 1949年(昭和24年)優勝     
    • 1950年優勝   
    • 1951年準優勝  
  • 全日本選手権
    • 1952年優勝
    • 1953年優勝
    • 1954年準優勝
    • 1955年準優勝


  • 1955年 慶応義塾内対抗

  アイスホッケー優勝  『ジェットシューターズ』

  • 1955年 慶応義塾内運動会 

  やり投げ優勝

  • 1997年8月7日オープンウオーター日本初大会 熱海大会 3200m
      62歳より15年間 連続出場 2009年最優秀賞授賞
  • 1999年度北区体育協会 スポーツ賞授賞
       都民生涯スポーツ水泳大会 100m自由形優勝 50mバタフライ優勝
  • 2001年 2002年、スイマーズ、オブ、ザ、イヤー60歳~69歳、最優秀選手賞
  • 2001年 マスターズスイミング大会計280歳メドレリレー日本新記録

     世界新記録に1秒及ばず

国際試合

[編集]
  • 1954年、第2回アジア大会(フイリピン、マニラ)準優勝
  • 1957年、第2回ユニバーシアード(フランス、パリ)4位、日本選手団の旗手を勤める
  • 1958年、第3回アジア大会(東京)優勝、チーム主将、戦前戦後を通じ、日本の国際試合初めての優勝である。
  • 1960年、ローマオリンピック(イタリア、ローマ)チーム主将
  • 1964年、東京オリンピック、強化コーチ、民放テレビ解説者
  • 1966年、韓国水泳連盟に水球指導者として招聘される。
  • 1992年パンパシフィク水球マスターズ世界大会、グアム島40歳以上チーム、優勝、団長兼選手
  • 2008年、FINA WORLD MASTERS TOP 10 - SHORT COURSE METERS 200
     MEN 70-74クラスで世界トップ7に。
        http://www.fina.org/project/docs/masters/tabs_SC_07.pdf
  • 2009年 FINA WORLD MASTERS TOP 10 - SHORT COURSE METERS 2008
        MEN 75-79クラスで世界トップ3に。
         http://www.fina.org/project/docs/masters/TT_SC_08.pdf
  • 2010年 オープンウォーター 静岡シリーズ

    (南伊豆・熱海・三保の松原・伊東の4大会)      70歳以上部門 MVP受賞     

監督

[編集]
  • 慶應義塾高校3年
  • 慶應義塾大学水球監督6年 
  • 慶應義塾大学水泳部総監督6年

トライアスロン

[編集]
  • 仙台大会5回出場
  • 北海道大会2回出場
  • 小豆島大会2回出場
  • 琵琶湖大会1回出場
  • 1990年、オーストラリア、ゴールドコースト55歳以上の部、2位
  • 1991年、サイパン55歳以上の部、優勝

そのほか 

[編集]
  • 1979年 ラグビーチーム 『ガマ クラブ』副会長
  • 1996年 慶應スイミング・スクール理事長 就任
  • 1996年 プール歩き指導者代表 就任
  • 1997年 神奈川国体、県水球委員長、6位入賞
  • 1997年 ビックスイム 顧問
  • 1997年より 年3回、3200mウオーター、スイムレースに出場。
  • 2010年 北区水泳連盟 顧問
  • 2011年 一般社団法人全国OWS連盟(National Open Water Swimming Federation)

     会長就任(http://n-ows.jp/)

外部リンク

[編集]