マクリオー
マクリオー (Macliau または Mac-Llau, ラテン語:Macliavus) は,ワロク 1 世の息子[1]であり,550 年からブロ・ワロク王位継承までヴァンヌ司教だった.
人物
[編集]ヴァンヌ司教として
[編集]マクリオーの兄弟にしてブルトン伯であったカナオは,王位に対する絶対的な権力を保証するため 3 人の兄弟を殺害した.最後に生き残ったマクリオーは,これをも殺そうとするカナオに囚えられた.ナント司教フェリクスは,マクリオーが自分に忠誠を誓うという条件のもと彼の解放を成功させた.カナオはマクリオーが忠誠の誓いを反故にしたがっていることを知り,新たな誓いを要求した.マクリオーには力がなかったので,この地方のもう一人の伯爵であるコモールのもとへ逃れた.
王として
[編集]560 年にカナオは,フランク王クロタール 1 世の息子にして対立者であるクラム (Chramn) と同盟を結ぶ.カナオはクラムの軍とクロタールの軍が衝突する戦いのなかで死亡する.
カナオの継承者であるブディク (Budic, Bodic) と,マクリオーは王国を互いに分割する (コルヌ,Cornou).今日のコルヌアイユに対応する部分がブディクの,ヴァンヌにあたる地域がマクリオーのものとなった.この王国の分割の協定は,「互いのうち後まで生きた者は,もう一方の息子たちをあたかも自分の息子のように庇護する」と取り決めている.この分割のとき,ブディクには 1 人の息子テューデリク (Theuderic) がおり,マクリオーには 2 番めの息子,ワロクの弟ジャコブが生まれるところであった[2].
ブディクのほうが先に死に,マクリオーとブディクは互いに自分たちの息子を保護するという誓いをなしていたにもかかわらず,マクリオーはテューデリクをブルターニュから追放し,その王国を占領した.577 年,軍を糾合したあとでテューデリクはマクリオーに対する戦争を起こした.マクリオーとその息子ジャコブは戦いのさなかテューデリクの手によって死亡した.ブディクの息子は王国を取り戻し,マクリオーの領地の支配権を彼の息子ワロク 2 世に委ねた[3].
系図
[編集]ワロク 1 世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
コモール ポエール伯 | 聖トレフィーヌ | マクリオー ヴァンヌ司教 ブロ・ワロク王 | カナオ 1 世 ブロ・ワロク王 | 男子 | 男子 | 男子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
聖トレムール | ワロク 2 世 ブロ・ワロク王 | ジャコブ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
カナオ ブロ・ワロク王 (?) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
脚注
[編集]- ^ Arthur de La Borderie et Barthélémy-Amédée Pocquet du Haut-Jussé Histoire de la Bretagne, réédition Joseph Floch Mayenne 1975, Tome premier p. 444
- ^ Grégoire de Tours Op cit p. 268-269
- ^ Grégoire de Tours Op cit p. 269
参考文献
[編集]- Liste Chronologique des Évêques de Vannes, diocèse de Vannes.
- Grégoire de Tours Histoire des Francs Tomes I & II Les Belles Lettres Editeur Denoël 3e édition (1974)