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ブラウンロー・セシル (第4代エクセター侯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
バニティ・フェア』1887年4月16日号におけるカリカチュアカルロ・ペリグリーニ画。

第4代エクセター侯爵ブラウンロー・ヘンリー・ジョージ・セシルBrownlow Henry George Cecil, 4th Marquess of Exeter PC1849年12月20日1898年4月9日)は、イギリスの貴族、保守党の政治家。庶民院議員、宮内副長官英語版を務めた[1]。1867年から1895年までバーリー卿儀礼称号を使用した[1]

生涯

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第3代エクセター侯爵ウィリアム・アレイン・セシルと妻ジョージアナ・ソフィア(1827年10月11日 – 1909年3月26日、第2代ロングフォード伯爵トマス・パケナムの娘)の息子として、1849年12月20日にメイフェアブルートン・ストリート英語版24号で生まれた[1]。1863年から1866年までイートン・カレッジで教育を受けた[1]

1870年4月9日に中尉(Ensign and Lieutenant)への辞令を購入してグレナディアガーズに入隊[2]、1872年5月15日に大尉(Lieutenant and Captain)に昇進した[3]。1877年8月に陸軍から引退して[4]、少佐としてノーサンプトン・アンド・ラトランド民兵連隊英語版に配属された[5]

1871年3月7日、リンカンシャー副統監に任命された[6]

1877年8月、保守党候補としてノース・ノーサンプトンシャー選挙区英語版の補欠選挙に出馬、2,261票を得て庶民院に当選した[7]1880年イギリス総選挙で2,405票(得票数2位)を得て再選した[7]第3回選挙法改正によりノース・ノーサンプトンシャー選挙区の定数が1人に減らされたが、バーリー卿は1885年イギリス総選挙で4,467票を得て再選、1886年イギリス総選挙において無投票で再選した[8]1892年イギリス総選挙では4,505票を得て再選した[8]1895年イギリス総選挙をもって庶民院議員から退任した[8]

1886年8月5日にGroom in Waitingに任命され[9]、1891年まで務めた[1]第2次ソールズベリー侯爵内閣期の1891年11月24日に宮内副長官英語版[10]、同年12月12日に枢密顧問官に任命された[11]。1892年8月に内閣が倒れると、バーリー卿も宮内副長官を辞任した[12]

1895年7月14日に父が死去すると、エクセター侯爵位を継承した[1]

スタンフォード・バロン・セント・マーティン英語版の教会にある第4代エクセター侯爵の記念碑、2023年撮影。

1898年4月9日にシティ・オブ・ウェストミンスターのアシュリー・ガーデンズ114号(114 Ashley Gardens)で死去、一人息子ウィリアム・トマス・ブラウンロー英語版が爵位を継承した[1]

家族

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1875年、イザベラ・ウィッチコート(Isabella Witchcote、1857年1月8日 – 1917年7月12日、第7代準男爵サー・トマス・ウィッチコートの娘)と結婚[1]、1男をもうけた[13]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, H. Arthur, eds. (1926). The Complete Peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Eardley of Spalding to Goojerat) (英語). Vol. 5 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 223–224.
  2. ^ "No. 23605". The London Gazette (英語). 8 April 1870. p. 2097.
  3. ^ "No. 23895". The London Gazette (英語). 10 September 1872. p. 3970.
  4. ^ "No. 24492". The London Gazette (英語). 14 August 1877. p. 4694.
  5. ^ "No. 24492". The London Gazette (英語). 14 August 1877. p. 4695.
  6. ^ "No. 23719". The London Gazette (英語). 24 March 1871. p. 1546.
  7. ^ a b Craig, F. W. S. (1977). British Parliamentary Election Results 1832–1885 (英語). London: Macmillan Press. p. 432. ISBN 978-1-349-02349-3
  8. ^ a b c Craig, F. W. S. (1974). British Parliamentary Election Results 1832–1885 (英語). London: Palgrave Macmillan. p. 359. ISBN 978-1-349-02298-4
  9. ^ "No. 25615". The London Gazette (英語). 10 August 1886. p. 3853.
  10. ^ "No. 26226". The London Gazette (英語). 24 November 1891. p. 6230.
  11. ^ "No. 26233". The London Gazette (英語). 15 December 1891. p. 6911.
  12. ^ "No. 26321". The London Gazette (英語). 30 August 1892. p. 4958.
  13. ^ Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth Peter, eds. (1934). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, The Privy Council, and Knightage (英語). Vol. 1 (92nd ed.). London: Burke's Peerage, Ltd. p. 931.
  14. ^ Cokayne, George Edward; Hammond, Peter W., eds. (1998). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Addenda & Corrigenda) (英語). Vol. 14 (2nd ed.). Stroud: Sutton Publishing. p. 312. ISBN 978-0-7509-0154-3

外部リンク

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グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会
先代
ジョージ・ウォード・ハント英語版
サックヴィル・ストップフォード=サックヴィル英語版
庶民院議員(ノース・ノーサンプトンシャー選挙区英語版選出)
1877年 – 1895年
同職:サックヴィル・ストップフォード=サックヴィル英語版 1877年 – 1880年
チャールズ・スペンサー閣下 1880年 – 1885年
次代
エドワード・フィリップ・モンクトン英語版
公職
先代
ルイシャム子爵英語版
宮内副長官英語版
1891年 – 1892年
次代
チャールズ・スペンサー閣下
イギリスの爵位
先代
ウィリアム・セシル
エクセター侯爵
1895年 – 1898年
次代
ウィリアム・セシル英語版