バール・ナラシンハ・クンワル
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バール・ナラシンハ・クンワル(Bal Narsingh Kunwar, 1783年2月2日 - 1841年12月24日)は、ネパール王国の軍人、政治家。のちにネパールの首相となったジャンガ・バハドゥル・ラナらの父にあたる。
生涯
[編集]1783年2月2日、 ラナジット・クンワルの息子として生まれた[1]。
1806年4月25日、法王ラナ・バハドゥル・シャハが弟シェール・バハドゥル・シャハに殺害されると、バール・ナラシンハは即座にシェール・バハドゥルを斬殺した[2]。これにより、彼は執政(カージー)の位を得た[2]。
1841年12月24日、バール・ナラシンハは死亡した[1]。
息子の一覧
[編集]合計で9人の息子がいた。また、彼らは1848年5月5日にラナ姓を王家から賜り、クンワルから改姓している[1]。
- バクタ・ビール・ラナ
- ジャンガ・バハドゥル・ラナ
- バム・バハドゥル・ラナ
- バドリ・ナラシンハ・ラナ
- ジャイ・バハドゥル・ラナ
- クリシュナ・バハドゥル・ラナ
- ラノッディープ・シンハ・ラナ
- ジャガット・シャムシェル・ラナ
- ディール・シャムシェル・ラナ
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 佐伯和彦『世界歴史叢書 ネパール全史』明石書店、2003年。