バージニア軍
バージニア軍(Army of Virginia) | |
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活動期間 | 1862年6月26日-1862年9月12日 |
国籍 | アメリカ合衆国 |
忠誠 | 北軍 |
兵科 | 軍 |
主な戦歴 | シーダー山の戦い; 第二次ブルランの戦い |
指揮 | |
著名な司令官 | ジョン・ポープ少将 |
バージニア軍(Army of Virginia)は南北戦争中の1862年夏に、3ヶ月弱存在した北軍の「軍」。
歴史
[編集]バージニア軍は1862年6月26日に、一般命令103号に基づき、バージニア州付近で活動していた4つの軍管区(Department)をまとめて編成された。即ち、ジョン・C・フレモント少将の山岳軍管区(Mountain Department)、アービン・マクドウェル少将のラッパハノック軍管区(Department of the Rappahannock)、ナサニエル・バンクス少将のシェナンドー軍管区(Department of the Shenandoah)及びワシントン軍管区(Military District of Washington)のサミュエル・スタージス(Samuel D. Sturgis)准将の旅団である。ジョン・ポープ少将が、5万人を超える将兵を有する新しく組織されたバージニア軍の司令官となった。また、北バージニア方面作戦中には、ジョージ・マクレラン少将のポトマック軍から3個軍団が派遣され、ポープの指揮下にあった。
バンクスの指揮するバージニア軍第2軍団は、シーダー山の戦いで、ストーンウォール・ジャクソン少将と戦い、当初は有利に進んでいたもの、南軍のA・P・ヒル少将の反撃を受けて敗退した。
バージニア軍全体が参加した第二次ブルランの戦いでは、ロバート・リー大将の北バージニア軍(右翼:ジェイムズ・ロングストリート少将、左翼:ジャクソン少将)に大敗し、防衛戦をワシントンD.C.にまで後退させる結果となった。1862年9月12日、バージニア軍はポトマック軍に吸収された。
司令官
[編集]組織
[編集]当初3個軍団が組織されたが、番号がポトマック軍と重複する。後のメリーランド方面作戦でポトマック軍に所属した際に、軍団番号が変更されている。
- バージニア軍第1軍団:フランツ・シーゲル少将(元はフレモントの山岳軍管区。後にポトマック軍に吸収された際に第11軍団に名称変更)
- バージニア軍第2軍団:ナサニエル・バンクス少将(元はポトマック軍第5軍団でシェナンドー軍管区に属していた。後にポトマック軍に吸収された際に第12軍団に名称変更)
- バージニア軍第3軍団:アービン・マクドウェル少将(元はポトマック軍第1軍団で、その後ラッパハノック軍管区に属していた。後に第1軍団としてポトマック軍に復帰)
- 騎兵旅団:ジョージ・ベイヤード(George Dashiell Bayard)准将
北バージニア方面作戦では、以下の軍団がポープの指揮下に入った。
- ポトマック軍第3軍団:Samuel P. Heintzelman少将
- ポトマック軍第5軍団:フィッツ・ジョン・ポーター少将
- ポトマック軍第9軍団:ジェシー・リー・リノ少将
- レイノルズ師団(ペンシルバニア予備師団):ジョン・F・レイノルズ准将
主な戦闘
[編集]- シーダー山の戦い:バンクスの第2軍団のみ傘下
- 第二次ブルランの戦い
- シャンティリーの戦い:
参考資料
[編集]- Boatner, Mark M. III, The Civil War Dictionary: Revised Edition, David McKay Company, Inc., 1984, ISBN 0-679-73392-2.
- Battles and Leaders of the Civil War