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ノート:古代リビュア

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改名提案

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「リビュア」は完全に誤りの表記とは言えないものの、非常に古さと違和感を感じ、一部でのみ使われている表記であると思われます。私が所持している文献(一覧)を調べたところ、リビュア表記は一つも見かけませんでした。Googleで「リビュア -wiki -pedia」と検索してみても商品名しかヒットしないことから、WP:CRITERIAにある「広く知られている名称」ではないことがわかります。論文では、Google Scholarでは少なくない数の例が見えますが、現代の国が「リビア」なのに古代だけ「リビュア」なのはどう考えてもおかしいでしょう。

これらの理由より、「リビア」がよいと思われますので、「古代リビア」に改名したいと思いますが、どうでしょうか。3日ほど(これほど多くの文献がリビア表記なので、そもそもすぐ変えたいところですが規定の1週間待つと大変ですし、私も4月は忙しくなり面倒なため)たって反対が無ければ、もう改名し、この記事の初版作成者の方(すでに活動されていません)が方々で「リビア」を「リビュア」に変えて回っているのもすべて修正を行いたいと思います。--Sethemhat会話2022年3月31日 (木) 14:09 (UTC)[返信]

暫定 反対 「現代の国が『リビア』なのに古代だけ「『リビュア』なのはどう考えてもおかしいでしょう」とのことですが、現在のリビアは。アラビア語に訛化したものですが、アラビア語話者が移住してくる以前のその地域は先住ベルベル人の部族リブ語の名称を古代エジプト人がヒエログリフで表記した
r
Z1
bwT14A1
Z2
(アルファベット転写ではrbwやlibuなどと表記)が元になって、さらには外名ですが古代ギリシア語の文献に登場するΛιβύηの日本語表記にしたら「リビュアー」若しくは「リビュエー」に近い発音から古代リビュアという表記にに落ち着いているのでは。
改名に3日ほどで実行したいという事ですが、もう少し文献を調べたいので即急の改名に反対しますので、今は暫定的に反対票を投じます。--RottenApple777会話2022年4月2日 (土) 00:14 (UTC)[返信]
1週間以内の改名に 反対 1週間先では忙しくなって面倒ということであれば、前倒しでなく先送りすべきでしょう。--エンタシス会話2022年4月2日 (土) 02:54 (UTC)[返信]
返信 (RottenApple777さん宛) 暫定反対票理解致しました。以下は私の主張の補足ですが、日本のエジプト関係の書籍で「リビュア」表記がなされた書籍を私は見たことがありません(WP:CRITERIA)。だから、「リビュア」を異質に感じるのです。松本氏の4書籍(1994, 1996, 1998, 2020)は当然リビアですし、松本氏だけでなく、屋形(1998) p.446にも「王の後宮に勤めるシヌヘは、共治王センウセレト1世のリビア遠征に同行中...」と、リビア表記です。
後、上に挙げていらっしゃるヒエログリフ表記は「おかしいな?」と思いましたが、どうやら、その表記もあるようです(出典)私が知っていた表記は、松本(1994), p=66にある
T
T14 H
nw nw nw
N17
 翻字:THnw, カタカナ化:チェヘヌゥ。リビア人は、同書籍p.213
TmHT14A1
 翻字:TmH, カタカナ化:チェメフ です。先ほどのインターネット出典にも、載っていました
よって、リビュアには妥当性はないことはないものの、エジプト学の一般的にはリビアが多数を占めるため、私はリビアの方がよいと思っております。
また、エンタシスさんのおっしゃる通り、確かに早急でしたので(一刻も早くこの表記を変えたかったとはいえ)、気長に待つと致します。--Sethemhat会話2022年4月3日 (日) 14:40 (UTC)[返信]
  • コメント RottenApple777さんのご指摘にもあるように、「リビュア」表記はもしかしたらギリシア神話あるいは古代ギリシアの文脈から来ているかもしれないと思い、手持ちの書籍をいくつか当たってみたところ、高津春繁の『ギリシア・ローマ神話辞典』によると、「リビュエー」の項目(p.301)で地名は「リビア」であり、ケレーニイやグレーヴスの訳本、ヘロドトスの『歴史』(松平千秋訳)でも人名はリビュエー、地名はリビアとなっていました。本記事へのリンク元になっているトリートーニス湖は私が初版を書いた記事ですが、このときも出典では「リビア」だったけれども内部リンク先として既存の記事名に表記を合わせたように記憶します。「リビュア」表記がないとは言い切れませんが、限定的でしょう。
なお、本記事は定義程度の内容で出典もないため、加筆あるいは関連記事への統合の検討が優先事項ではないかとは思いますが、「リビア」への改名自体には反対しません。--みっち会話2022年5月12日 (木) 06:08 (UTC)[返信]
返信 返事が遅くなってすみません。やはり、ギリシャ史やオリエント史視点で語る学術文献では「リビュア」という表記は地名[1][2][3][4][5][6](人民1回土地2回)[7](人民3回土地2回)[8]も、民族名[6][7]にも使用されていました。
エジプト史の視点では「リビア」記述が多いということでしょうか。ただ単に表記の揺れかもしれません。ただ、様々な勢力の支配を受けた地域の呼称は古代と現代と違う事はよくあります。それを現代の呼称がリビアだから古代もリビアだという主張は同意出来ません。
日本語でなくて申し訳ないのですが、エジプトでの実際の記述にはtmḥwとかtḥnw(Sethemhatさんが書かれた、TmHとTHnwと同等かと思われます)にといった表記の方が多いのに、エジプト史に関わる現代の研究家(多分西洋の研究者を指している)はRbw (Lebu) を好んで使用するとの記述もみつけました[9]。議論には直接関係ないのですが、Sethemhatさんが提示したヒエログリフと自分が提示したヒエログリフが違っていた謎が解けました。--RottenApple777会話2022年5月18日 (水) 20:55 (UTC)[返信]

脚注

  1. ^ 青木真兵 (2012年12月20日). “西方フェニキア都市レプキス・マグナとガラマンテ ス : 研究ノート”. 神戸山手大学紀要第14号. 関西国際大学機関リポジトリ. p. 69. 2022年5月18日閲覧。
  2. ^ 佐藤進 (1995年). “ダレイオス 1 世のビストゥン碑文 (試訳)”. rissho.repo.nii.ac.jp. p. 1. 2022年5月18日閲覧。
  3. ^ 上月翔太 (2017年12月25日). “ルカヌス『内乱』におけるfama”. 待兼山論叢. 芸術学篇. ir.library.osaka-u.ac.jp. pp. 4. 7, 13, 15, 16, 28. 2022年5月18日閲覧。
  4. ^ 佐藤進 (1969年). “ダフユとサトラペイア -ペルシア帝国支配加構造の予備的考察”. オリエント 12巻 3-4号. J-Stage. p. 28. 2022年5月18日閲覧。
  5. ^ 古川琢磨 (2021年5月8日). “ウェルギリウス『アエネーイス』第1歌(訳)”. 九州大学附属図書館. p. 73. 2022年5月18日閲覧。
  6. ^ a b 岩波講座世界歴史: 古代』岩波書店、1969年、19, 289, 304頁https://books.google.com/books?id=bCdJAAAAMAAJ&q=%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%83%AA%E3%83%93%E3%83%A5%E3%82%A2&dq=%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%83%AA%E3%83%93%E3%83%A5%E3%82%A2&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwjbpuaao-T3AhVtDEQIHePxAgUQ6AF6BAgEEAI 
  7. ^ a b 楠田直樹 (2012年). “ポエニ戦争以前のローマ・カルタゴ関係一BarbaraScardigliの考え方を基にして”. 創価女子短期大学紀要. soka.repo.nii.ac.jp. pp. 76, 81, 82, 89, 91. 2022年5月18日閲覧。
  8. ^ 山口拓夢. “神話と周縁部 : ジーン・M・デイヴィスン『神話とポリス』”. 札幌大学学術情報リポジトリ. p. 73. 2022年5月18日閲覧。
  9. ^ Zimmermann, K. (2008-01-01). “Lebou/Libou” (フランス語). Encyclopédie berbère (28-29): 4361–4363. doi:10.4000/encyclopedieberbere.319. ISSN 1015-7344. https://journals.openedition.org/encyclopedieberbere/319. 

──────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────── 返信 皆さま、コメントありがとうございます。みっちさんの書籍では、ギリシャ時点での人名はリビュエー、地名はリビアとなっていたのですか。これを踏まえて、RottenApple777さんの書籍提示を拝見すると、確かにギリシャ系での「リビュア」の使用例が確認できますね。

しかしながら、ご賢察の通りエジプト分野ではそうもいきません。例えば、ご提示の『岩波講座世界歴史: 古代』のあるページでは確かに「リビュア」ですが、別のページでは、実際に「リビア」の名称が用いられてもいます。この周辺記述を図書館に行って確認してくるので、詳細はなんとも言えませんが(研究者の属する)分野によって、使用例が分かれているということはほぼ確実に言えそうです。

この上でページ名の問題に移ります。RottenApple777さんの「現代の呼称がリビアだから古代もリビアだという主張は同意出来ない」とのことですが、しかし一般的に聞きなれる名称が「リビア」であるため、統一しておいたほうがよいと思います。私も「比較的マイナー分野では専門的な記述が一般的寛容に優越する」と考えている者なのでそういうとダブルスタンダードになってしまうのですが。どうでしょうか。

それでも同時に、ギリシャ方面での使用例がご提示の通り無視できない量です。そのため、この記事の本文中に、ギリシャ関係では「リビュア」の名称が用いられている例が多数あることを述べ、折衷案としてギリシャ系の記事では「リビュア」を使うことに致しませんか。エジプトでは「リビュア」例が一切ないため、「リビア」を使うようにしますので。エジプト系記事の「リビュア」を「リビア」に修正しておきます。--Sethemhat会話2022年5月22日 (日) 15:02 (UTC)[返信]

返信 この記事に限らず、ひとつの物事にいくつもの呼称があるのは多々ある事です。エジプト史関連の記事で、パイプ・リンクにされるということでしたら、文脈に合わせてどなたも多くの記事で行っていることですし、自分がどうこう言う筋合いはありません。
「ギリシャ関係では『リビュア』の名称が用いられている例が多数あることを述べ」についてですが、その前に前回書き忘れましたけど、みっちさんの「加筆あるいは関連記事への統合の検討が優先事項」に同意しますので、稚拙ながら英語版から導入部分を訳してみました。その中心は先住民アマジク人が住んでいたこと、そして古代ギリシアからみたその地域の記述が中心で、この後まだ訳していませんがフェニキア人(オリエント史もお忘れなく)、プトレマイオス朝(ヘレニズム国家)、古代ローマ、イスラーム勢力に支配されていったことが記述されます。もちろんエジプト史からはヒエログリフで表記されていたことも説明されますが、やはり中心は先住民と植民都市時代関連の内容で、呼称の説明もあり、「ギリシャ関係では『リビュア』の名称が用いられている例が多数あることを(省略)」わざわざ説明する必要があるのか疑問があります。--RottenApple777会話2022年5月24日 (火) 02:34 (UTC)[返信]
  • 返信 (RottenApple777さん宛) 忙しく、返信が少し遅れましてすみません。翻訳ありがとうございます。私もエジプト史の観点より書くことができますが、エジプト史の他の重要ページがいまだ低品質で、記事の重要度は低いため数年先になるかもしれません。
呼称がどの分野で使われているかということは、書く方が読者に親切と思います。例えば、エジプト記事から来た人は、私のようにどうして記事名が「リビュア」なのか気になるでしょう。
なお、岩波講座・世界歴史Iを図書館より借りてきましたが、確かに、杉 勇氏「...次いで第25王朝のエティオピア出身のファラオ時代までは、リビュア人の建てた王朝や..」(p. 289)とありました。上で挙げておりますように、同書籍の中にも「リビア」表記はございます。表記ゆれはやはり難儀なものですね。
ここではリビュア表記が多いため改名はしないということでしょうか。それに関してももう一度伺いたいです。--Sethemhat会話2022年6月4日 (土) 14:40 (UTC)[返信]
もし先述の改名暫定反対を取り下げるかどうかとのご質問でしたら、取り下げに至れるような納得が出来る内容が揃っていないと思っているので、取り下げません。ただし、「リビュア表記が多いため」とは主張していません。この記事になっている文化、地名、歴史、時代は、地理学的にエジプトと近接していることもあり支配がそれぞれの地域に及ぶなどエジプト史と交わる場面が、ご指摘のように多々ああるのは当然でしょう。アブ・シンベルのリリーフにも敵対勢力(つまりエジプトとは別の勢力)の一つとして描かれていますし、エジプトを支配していた時期もあります。ですからエジプトの事が記事に登場したり、今後登場する内容が加筆される事でしょう。
しかし、この記事で語られている古代文明・文化は大筋ではエジプトの文化、地名、歴史とは別個のものです。にも拘わらず、改名依頼者のSethemhatさんは「エジプト学の一般的にはリビアが多数を占めるため」と書かれていらっしゃるように、エジプト学POVの主張をされています。もちろん現在の記事名も、先住民の方々から見れば残念ながら外国勢力のギリシャ史やオリエント史POVですが、古代リビュアという記事内容の中核はなにかを考えた時、それは先住民の方々のことや、ギリシャやフェニキアによる植民都市時代のことが中心です。その内容を無視してこの記事においてエジプト史POVを取るべき根拠をSethemhatさんが十分に示されたは思えませんし、読者の方もエジプトの記事から来られた方と書かれますが、どうしてそれもエジプト史POVだけなのですか?そしてエジプト史POVが他国の歴史を凌駕する理由はなんですか?なぜリビュアなのかは記事内で説明されています。よって現状維持を支持しますので、当然改名には反対となります。--AppleRingo777会話)(RottenApple777からID改名しました)2022年6月7日 (火) 20:33 (UTC)[返信]
返信 (User:AppleRingo777さん宛) なかなか返信ができずにすみません。
「エジプト学POV」というのは鋭いご指摘です。できる限り説明いたします。
まず、私はエジプト学POVをとっていた自覚がありません。ただ、自分の知っている表記と違う記事名に違和感を覚え、いろいろ調べたところエジプト学ではリビアの表記がよく用いられていたという結論に至ったまでです。なので、リビアに変更しようと思い立っただけで、この主題がヘレニズム関係の問題を抱えていることを調査しておりませんでした。この点では全面的に私の落ち度でございます。申し訳ありませんでした。
仰る通り、この地域の歴史が、「ギリシャやフェニキアによる植民都市時代のことが中心」なのであれば、「その内容を無視してこの記事においてエジプト史POVを取るべき根拠」がありませんので、改めてこのページ名を「古代リビア」に変更するこの改名提案を 取り下げます。エジプト学から言えば、エジプト第22王朝の設立者シェションク1世はリビア人ですので、やはり全く関係ないというわけでもありませんが、エジプト学で「リビア」の名称を用いるように統一できさえすれば私に記事名を残置することへの異存はありません。この説明で私の改名の動機は理解いただけましたでしょうか。もしまだ疑問点あれば、さらに質問いただければ追加説明いたします。--Sethemhat会話2022年7月2日 (土) 01:15 (UTC)[返信]