ノート:0の0乗/過去ログ2
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2009年1月11日から22日の途中までの論議
本文を直接修正すると、また削除されそうなので、まずここに記述します。
--- ここから ---
2.1 べき乗のもう一つの定義
べき乗の定義では、n 個の x を掛け合わせた数が xn である。 それとは別に、1 に x を n 回掛けた数であるという考え方がある。 この時、0 乗及び自然数乗の帰納的な定義は、次のようになる。
- x0 = 1,
- xn+1 = xn × x (n ≥ 0).
この定義による 00 は 1 である。
--- ここまで ---
べき乗を今回の記述のように考え得ることは、参考文献「秋山仁と算数・数学不思議探検隊」にも記述されています。 その場合に、00=1 であることは自明です。 現在の記述は、べき乗の定義は正しくて、それを元に 00 が未定義になるという記述であり、別の定義が考えられるかどうかについては、何も言っていません。 ならば、この定義を否定するにしろ肯定するにしろ、記述には意味があると考えます。 出来れば、この定義が誤りで、今の定義が正しい理由が欲しいですが、私にはその経緯も理由も分かりません。 追加場所は、「定義されないことの説明」の方が良いかもしれません。 --風船 2009年1月11日 (日) 11:14 (UTC)
- 現在の記事の「1と定義する考え方」節の書き出しは「しばしば、0の0乗は 1 と定義される。」ですが、それを読まれた上で
- 現在の記述は、べき乗の定義は正しくて、それを元に 00 が未定義になるという記述であり、別の定義が考えられるかどうかについては、何も言っていません。
- とおっしゃっているのでしょうか。--Makotoy 2009年1月11日 (日) 11:50 (UTC)
「しばしば、0の0乗は 1 と定義される。」という文章に、既に含まれているという解釈でしょうか? ならば、その一例という位置付けでも構いません。 ただ、現在の記述が、x1 = x を残した上で、x0 = 1 あるいは 00 = 1 を付け加える場合があると言っているように感じられるので、それは私の意図とは異なります。 これが、「べき乗の定義は正しくて」に当たります。 (この部分は、指数関数では成り立ちませんので、あくまでもべき乗の定義に沿った場合です)
x ≠ 0 の時 x0 = 1 が言えるに過ぎないのですが、ある程度の人々は、これを x=0 でも成り立つと考えているだろうし、その根拠が「べき乗は 1 に x を n 回掛けた数」という考えです。 私の意図は、否定的であれ、この考え方が文章として明確に記述されることです。 --風船 2009年1月12日 (月) 02:25 (UTC)
- 以下の理由により、追記に反対。
- 「もう一つの定義」などと書くと、その標準的でない定義が、標準的な定義と同等に認められたものだと読者に誤解を与えるおそれがある。
- 提案内容は「x ≠ 0 のとき x0 = 1 であるから、0の0乗を 1 と定めることが自然であると考えられる」という部分に完全に含まれる。もう一方の「n が正の整数のとき 0n = 0 であるから、0の0乗を 0 と定めることも自然であると考えられる」を差し置いて、改めて強調する必要はない。
- 以上。--白駒 2009年1月12日 (月) 04:44 (UTC)
「べき乗は 1 に x を n 回掛けた数」という文が入りさえすれば良いです。 それ以外は、自分なりに分かりやすいと考えての駄文ですから、「もう一つの定義」などに拘りはありません。
「x ≠ 0 のとき x0 = 1 であるから」という部分は、べき乗の定義から導かれるものです。 「べき乗の定義は正しくて」から始めないでください。 「1 に x を n 回掛けた数」という考えをする人にとっては、その文は意味を持たず、00 という問題がそもそも存在しません。 だとすれば、何故今の定義になっていて、何故わざわざ問題を作っているかの疑問が解消されないのです。 この定義が標準的な定義となり得ないのであれば、これを記述した上で、その欠点を指摘した方が、より良い理解に繋がると思います。 --風船 2009年1月12日 (月) 15:46 (UTC)
- 揚げ足を取るような言い方になって悪いですが、「00 という問題がそもそも存在しません。」のならばそもそも00が主題のこの記事に書こうとしないでください。このように、風船さんの書かれることにはその整合性を疑わざるを得ない部分がたくさん含まれていて、どうにもおっしゃることが受け入れがたいのです。今回の件で言えば、「べき乗は 1 に x を n 回掛けた数」という表現が、今の記事と比べて、何らかの数学的現象をよく照らし出していれば記事に含める意義がありますが、とてもそうはおもえません。一般論として、ひろく認められていることをウィキペディアに書くのは至極まっとうのことです。ですが、いつでもそうとは認められていないことをいちいち事細かに拾ってきてそれら全てを検討し、論考を加えるということは文章の読みやすさを損なうため、好ましくありません。ウィキペディアは質問サイトではないのです。だから、誰か一人に取ってとても腑に落ちる表現だったというだけで、それを記事に記録しておくことはできません。風船さんがこの記事に関連したことに興味をお持ちだということはわかりましたが、風船さんの理解の仕方を人に押し付けようとするのはどうかおやめください。--Makotoy 2009年1月12日 (月) 19:07 (UTC)
参考文献で「00はいくつになるの」という部分に書かれている表現なのに、私の理解の仕方の押し付けだと決め付けないでください。本自体は、せいぜい高校生向けに書かれていますが、逆にここに書かれているのは、現在の定義が正しいと盲目的に信じている人向けの、00 という問題にとって本質的でないことばかりが書かれているように思われます。今書かれていることは、x1 = x と決めたから x0 が x = 0 で未定義になるのであって、たとえば x2 = x × x と決めれば x1 さえ x = 0 で未定義になります。 あなたには、そういう疑問は湧かないのでしょうが、だからといって読者を特定しないでください。 この記事は、数学的枠組みをまだ正しく理解できていない人に向けた、正しい理解に導くためのものです。こういう間違いにはこう説明すると、試行錯誤的な記述が入るのは当然です。ウィキペディアは質問サイトではないでしょうが、この記事は質問に答えるために書かれたものです。そうでなければ、00 = 0/0 だから未定義である、で済む話です。
ところで、「1 に x を n 回掛けた数」という考えを、私は正しいと思っています。正しいからその否定が考えられず、否定できないから載せたくないのではないですか?--風船 2009年1月13日 (火) 02:38 (UTC)
- 残念ながら、「逆にここに書かれているのは、」から「だから未定義である、で済む話です。」までの部分は何をおっしゃりたいのかほとんどわかりません。第二段落については、正誤の問題と利便性の問題をごっちゃにしていらっしゃるように思えます。「1 に x を n 回掛けた数」という表現そのものからは、xが0であり得るような枠組みにおいてその必然性をにわかに了解しがたいところがまずいのです。これまでの白駒さんや僕のコメントをちゃんと読まれているのでしょうか。問題になっているのはそれが正しいか誤りかではなく、今の記事の記述よりもものごとをよく説明しているかと言うことなのです。だれも00=1を証明してくれとは頼んでいません。--Makotoy 2009年1月13日 (火) 07:54 (UTC)
- ◆不毛な議論が続くことを望みませんので、あえて厳しいことを言わせて頂きます。
- 「参考文献で書かれている」→ その本には「こう考えると 0 になる。ああ考えると 1 になる。あれれ、おかしいね。だから普通はそう考えずに 00 は定義しないんだよ」と書かれているのに、「ああ考えると」の部分のみをクローズアップして、さも重要なことであるかのように装うのは明らかな誤誘導。
- 「正しいからその否定が考えられず、否定できないから載せたくないのではないですか?」→ 定義に「正しい」も「正しくない」もない。あるのは「標準的」か「標準的でない」か、「有用」か「有用でない」かである。この1点のみをもってしても、風船さんが本物の数学の理論に触れたことがなく、「定義」とは何なのかを理解されていないことは明白である。
- 「何故今の定義になっていて、何故わざわざ問題を作っているかの疑問が解消されない」→ これは風船さんがこの主題についていつまでたっても理解できないということ、したがって記事の向上に資する能力がないということを示唆する。
- 純粋に疑問なのですが、風船さんは数多の数学者が気付いていない真理に辿り着いたとでも自負しているのでしょうか。自分の理解が足りないのだ、ということに思いを馳せ、撤退する勇気を持って頂けませんか。--白駒 2009年1月13日 (火) 09:01 (UTC)
私の提案は、「ああ考えると」の部分を記述して欲しいということだけです。それが「おかしいね、だから定義しないんだよ」の一部であっても異議はありません。その表現が分かりやすいと思ってないのなら、この文献を紹介した理由は何ですか?紹介された本の内容のここが抜けていると言っただけで、それのみをクローズアップとか誤誘導は言い過ぎだと思いますよ。この本は誤誘導してる本ですか?
定義に「正しい」も「正しくない」もない、それは真実です。でも、この記事を見に来る人は、定義が知りたいのでも、標準が知りたいのでもないです(有用性への興味はあるでしょうが)。それだけでは納得しないから、グラフまで書いて説得するんでしょう?そこに必要なのは、それを正しいと思わせるための説得力ではないですか?「説得力があるからその反論が考えられず、反論できないから載せたくないのではないですか?」と言い換えても良いです。
真理にはたどり着いています。0/0 で済ませられるほど単純な問題じゃないと気付いたという意味で。だから、難しさが分からない人には、任せられません。まだまだ先は長いですし、撤退する気も全くありません。「関数 0x の x → +0 に対する極限をとるならば 0 となる」にも疑問を持っていますね。そこまで行くと独自研究になっちゃいますから修正は求めませんけど、定義されていない関数を使って説明するという姿勢はどうかな、とは思っています。 --風船 2009年1月13日 (火) 18:46 (UTC)
- 誤解のないようにここに書いておきますが、この風船さんのコメントに同意できる部分はほとんどありません。そして、なぜ同意できないかという理由は上にある白駒さんや僕のコメントに十分書かれています。つまり、話がかみ合っていないし、これからかみ合う見込みもないということです。今までできる限り誠意を払って書いてきましたが、もうその意義を見いだせないので、風船さん以外のひとから何らかのアクションがない限りここでこれ以上書くのはやめにしておきます。ですが、それを消極的な同意だとは受け取らないでください。以前の白駒さんのコメントにもあったように、風船さんに同意して論を張る人が表れないということを客観的に受け入れてください。--Makotoy 2009年1月14日 (水) 17:52 (UTC)
なるべく平和が一番なんですが、今回は少し言葉を選ばずに話してみようと思います。
「これからかみ合う見込みもないということです」⇒分かりました。今後無視させていただきます。高が編集者の意見など気にはなりません。同意とは受け取らないようにとのことですので、今後は同意なしで進めさせていただきます。
なお、形式的ですが、会話は続けさせていただきます。そうしないと排除される可能性が高まるので。私も出来る限りの手段を使いますし、あなたもそうして下さって結構です。
ところで、あなたは数学的素養のある人ですか?あなたの文章からは、同意できないとか、理解できないとか、受け入れがたいとか、そんな数学とは関係ない言葉ばかりが出てきます。数学的知識をお持ちなら、借り物でない自分なりの証明を提示してはどうですか?編集者として、他人の知識を扱うのは慣れているのでしょうが、自分の意見を的確に言えないのでは、役には立ちません。(あっ、私の文章も褒められたものではありませんので、どっこいどっこいでしょうか)
私の方針を言っておきます。その方が対処し易いでしょうから。当初の方針では、それほど害が無く、私にとっては正しい理論をまずは入れる予定でした。その後、問題のある部分を削っていけば、望みの部分が残ると言うものです。まどろっこしいですが、平和的な方針です。それがうまく行かない場合の代替案としては、ある程度実力で書き換えを行い、結果として編集が禁止されるのを待ちます。その時の表現としては、「ノートで合意を形成してから編集禁止を解除」などの表現が使われますので、改めて話し合いを求めます。でもそれは、やはり形ばかりになるでしょうから、それはノートへの誘導が行われていると好意的に解釈し、本文では扱えない部分を記述しようと思います。
私の認識に誤りがなければ、著作権侵害や名誉毀損などがなければ、ノートまで編集禁止にはならないでしょうから、独自研究の範囲になるものまで論理展開が可能になります。本文を変えるには、標準を変えることが必要ですから、その目的に沿った行動と認識しています。ここだけでは不十分ですけどね。
前回、定義されていない関数を使っていると申しましたが、そこは理解されたでしょうか? 関数 0x は指数関数ではありません。白駒さんにお手伝いいただき、指数関数の修正を行いましたのでご存知でしょうが、底が 0 の指数関数は存在しないのです。その存在しない関数を出すのならば、それがどういう仮定を行って導入したものか明らかにする必要があります。もちろん、存在しない関数を使って証明することすら「標準」なのでしょうが、そういう注釈は少なくとも入れて欲しいものです。 そして、あといくつかの一見無害な仮定の下に、0 という結論が出されています。 これだけの仮定を積み重ねていることを明白にしないで、0 という結論だけを示していることは、私から見てそれこそ誤誘導です。それに気付いていないならともかく、こうして指摘してさえも見ようとしないのなら、愚かとしか表現のしようがありません。 --風船 2009年1月15日 (木) 07:20 (UTC)
- 何からツッコミを入れてよいのか分かりませんが、0x については、記事をきちんと読めば書いてありますし、クヌースの本にも書いてあります。風船さんが記事を読んでもいないし、知識もないということが分かります。それから、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは演説をする場所ではありませんでもお読み下さい。その他、編集合戦を起こして記事が保護されるように仕向けることを匂わせるなど、大変に悪質であると判断せざるを得ません。上の文章で、風船さんがウィキペディアの目的外利用をしようとしていることが明らかになりました。これ以上、無意味な演説を続けるようでしたら、それなりの対応を検討させて頂きます。--白駒 2009年1月15日 (木) 10:13 (UTC)
0x についての記述はどの部分ですか?x の定義域が実数でなければならないので、直前に記述されたべき乗の定義ではないですよね?それ以外には見当たりません。もちろん、誤解している可能性は十分考えていますので、きちんと示していただければ主張は引っ込めます。
話し合いが行われる限りにおいて、ルールを守るつもりであることは、以前の行動でお分かりと思います。 一々話を中断されて、その度に脅迫まがいのことをしなければ説明をもらえない状況は、私も嫌なんですがね。 --風船 2009年1月15日 (木) 14:10 (UTC)
- 0の0乗#冪関数が連続性を持たないこと。お嫌なのは十分お察ししますが、私も無駄な説明や議論をさせられるのは嫌なのですよ。もちろん記事のためになることならば、議論も厭いませんけれども、その見込みはもはや無いものと考えています。それから、ルールはいかなる場合でも守って頂きたく存じます。--白駒 2009年1月15日 (木) 15:46 (UTC)
要望に答えてもらいましたので、こちらも要望に答えます。代わりと言ってはなんですが、現時点で私が 00=1 と考える根拠を示しておきます。証明とは言えないレベルですが、誰か賛同者が現れることを期待し、過去ログ化されなければいいなと思っています。残念ながら、現在の記事の内容では、これらの真偽は不明なのですが、その疑問への回答が得られないのが「標準」らしいのは了解しました。
- べき乗 xn は、「n 個の x を掛け合わせた数」である。これに単位元 1 を掛けても変わらないから、「1 個の 1 と n 個の x を掛け合わせた数」も同じである。そして「1 に x を n 回掛けた数」も同じ数であり、n=0 では 1 となる。
- 指数関数 xy = 10ylog10x である。x=y=0 とおくと 0 は小数点の後に可算個の 0 が並び最後が 1 の数に等しいので、log10x は高々可算濃度である。y は連続体濃度で割った数なので、その積は 0 となる。これを元の式に代入すれば、00 = 100 = 1 が得られる。
- 上の結果は、関数 0y がべき乗の定義と指数法則では y が有理数でのみ 0y=0 が証明されるに過ぎないことに起因する。0 と 正の有理数との間にある無理数については、0 であることを示せないので、ここに y → +0 が 1 となる余地が生じる。
- x/x は実数で考える限り、x=0 での値を持たない。では、それ以上の枠組みが考えられないかというとそうではなく、アルキメデスの公理を満たさないような拡張も行えるかもしれない。問題は、そこで 0 をどう定義し、極限値を何と考えるかである。
--風船 2009年1月16日 (金) 00:06 (UTC)
純粋な疑問として、この記事で納得しろというのは私には無理です。それをこの記事に求めすぎたのも無理があったのでしょう。そこで、参考文献を知っているなら教えて貰えませんか? 「通常は」などの言葉を使っていない、定義と証明で構成されているものが希望なのですが…。「通常 y が正の実数のときは 0y = 0 と定義し」という記述もあるので、この部分だけでも構いません。クヌースの本という言い方をされていたので、それが日本語であればその本も読んでみたいです(当方日本語以外はさっぱりなので)。知っている範囲で教えて下さい。P.S.記事とは直接関係ないので、ここ以外で記述した方が妥当ですかね?事実上、白駒さんくらいしか応答なさそうですし。 --風船 2009年1月18日 (日) 03:21 (UTC)
- 非常に興味深い議論、拝読しました。ところで、記事本文ページの編集における風船さんの主張は、「『べき乗は 1 に x を n 回掛けた数』という文が入りさえすれば良いです。」の1点のみでしょうか??--和太郎 2009年1月18日 (日) 06:47 (UTC)
私の考えでは、00 = 1 とする論理にも十分な妥当性がある気がしています。もちろん定義しないとする考えにも。本当はそれらすべての考えを載せたいところですが、ここが百科事典である以上、標準に縛られるのは当然です。「 1 に x を n 回掛けた数」というのは標準的(間違いとされる)考えです。よって、これは記述が許されると考えました。この一文の意味ですが、否定は容易でないことが理由です。少なくとも私は、べき乗の定義との違いを明確に説明できません。もしそうなら、00 が定義されないことに疑問を抱く人が現れ、将来証明される可能性も期待できます。この問題が、既に終わった問題でないことを示すには十分なのです。 私が言いたいのは、定義しだいで 00 = 1 が言えることではなく、二つの定義が同値である可能性です。力不足のせいか、半年近く考えても否定も肯定もできないので、気長にそのための種を蒔こうとしているのです。 --風船 2009年1月19日 (月) 03:08 (UTC)
- 「二つの定義が同値である」がどの定義とどの定義を指しているのかよくわからなかったので、もう一度説明していただけますか??すみません。--和太郎 2009年1月19日 (月) 03:18 (UTC)
「n 個の x を掛け合わせた数」と「1 に x を n 回掛けた数」という概念から得られる、x1 = x と x0 = 1 から始まる定義です。その二つは、x=0 を除けば一致します。x=0 の場合は、0 乗だけが不一致なのですが、もっとよく考えてみると、これも一致するという考え方がいくつか存在します。それらが、先に示した証明っぽいものです。ただし、x/x は特に難問で、x → 0 の極限値は 1 なのですが、x=0 での解が実数の定義が正しいと仮定する限り存在しないのは、私にも明らかです。そのため超準解析などにも範囲を広げて考えているのですが、それらが理解できるのはまだずっと先です。でも結果として、同値であることが証明できたならば、00 に対する見方は変わるのではと思っています。
- おそらくこれが最後の質問です。x と y はともに実数であるとします。|xy| = 0.5 として、x → 0 のときの y の極限を考えたことはおありでしょうか??--和太郎 2009年1月19日 (月) 09:29 (UTC)
(0.5x)1/x がその条件に当てはまりますから、x → +∞ とすれば質問の y が 0 になることが分かります。 これは、0y が y → +0 で 0 になる問題に帰着できると考えており、だからこそ x → +0, y → +0 において xy が 取り得る範囲が 0~1 になるのです。よって、当面 0y についてのみ考えるようにしています。 --風船 2009年1月19日 (月) 16:28 (UTC)
- いえ、x → +0, y → +0 において xy の取り得る範囲が 0~1 だなんてとんでもない。これを、0y が y → +0 で 0 になる問題に帰着させる必要もありません。私の主張は |00| = 0.5 のみです。ここに少なくとも 00 = 1 となる余地は一片もないという事実です。この論理が否定できない限りは、Wikipedia上での持論の展開を慎むべきでしょう。あなたの持論が間違っていた場合、白駒さんやMakotoyさんがその傾聴にこれまで割いてきた時間を補償できますか?
- しかし私は、風船さんにWikipedia上での編集や議論をやめてほしいとは思いません。もしそうなら最初から無視しています。風船さんには、もっと素晴らしい記事を書いてほしいのです。もっと素晴らしい編纂活動を心がけてほしいのです。--和太郎 2009年1月20日 (火) 08:48 (UTC)
- しばらく静観するつもりでしたが、数学的な内容についてのみ、より正確に表現しておきます。|xy| は、(x, y) が原点に近付く際、その近付き方によって、0 以上の任意の実数値に近付き得る(ヒント…0の0乗#不定形)。--白駒 2009年1月20日 (火) 12:40 (UTC)
- ありがとうございます。私があえて0.5を選んだことからも汲んでいただけてると思っていたのですが、当然の指摘ですよね。実は風船さんの出方待ちでした。紛らわしい表現、申し訳ありません。--和太郎 2009年1月20日 (火) 13:59 (UTC)
- しばらく静観するつもりでしたが、数学的な内容についてのみ、より正確に表現しておきます。|xy| は、(x, y) が原点に近付く際、その近付き方によって、0 以上の任意の実数値に近付き得る(ヒント…0の0乗#不定形)。--白駒 2009年1月20日 (火) 12:40 (UTC)
あれ?なぜ正確に受け取られていないのだろう。|xy| が 1 以外の値に近づく時、x/y も 0 になる必要があります。|xy| のグラフは、x=0 の直線上でのみ 1 以外の値になれるのです。よって、0y の極限値が 1 だと証明できれば、|xy| はすべて 1 になります。記事中で滑らかな曲面が描かれていますが、拡大していくと z=1 の平面と 0y=0 の組み合わせになります。また、0 以上の任意の実数値 に近づくことが出来るのですが、1 より大きくするためには y を負にする必要があります。y → +0 において 0~1 になることと、y → -0 を合わせて 0 以上の任意の実数値に近づくことに矛盾はありません。
なお、私は 00=1 と書いて欲しいと言っているのではありません。証明しようとはしていますが、それは私の事情ですし、問題はそこではないのです。この記事は「定義しない」という考えを紹介するものです。00=1 と考える余地があるかどうかは、記事にはまったく関係ありません。これこれの理由で 1 と考える場合があるが、それは数学的にこういう理由で否定されている、と記述されるべきではないですか?0y は通常 0 と定義され、それゆえに 00 は定義されないというのは、数学的論理に見えないです。いつから数学に証明が使われなくなったのですか? --風船 2009年1月21日 (水) 04:48 (UTC)
- ユークリッドの時代から、公理・定義と定理は別物として扱われており、公理・定義は証明なしに認めるものです。そして、00 が何かの値を取ることを証明または反証しようとすることは、第五公準を証明しようとするのと同等に無意味なことです。風船さん、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは演説をする場所ではありませんを御案内した意味をもう一度お考え下さい。はっきりと申し上げて、私はこれ以上貴方の初歩的な質問や勘違いにひとつひとつ答えるつもりもありませんし、貴方の演説からウィキペディアが得るものも何一つとしてありません。--白駒 2009年1月21日 (水) 09:36 (UTC)
私は、私への質問に答えているだけですが、それさえも演説と見なし制限しようとするのはいかがなものでしょうか。wikipediaの規定は、本文に適応されたものです(例外はあります)。ノートでの意見表明まで、それはあなたの主観であると制限されれば、自由な議論さえできません。 なお、前文は、主に和太郎さんへの「Wikipedia上での持論の展開を慎むべきでしょう」という文章への回答として記述したものです。
定理の証明のために定義を増やせば、どんなことも証明出来ます。でもそれは、証明すべき命題を、別の言葉に置き換えたに過ぎません。数学では、どういう定義を仮定してそれを証明したのかは、重要な意味を持つと思われますが、それは思い違いですか?0y という簡単な関数が、他の定義から証明も反証も出来ずに存在しているなら、かなりすごい状況だと私は思いますけどね。 なお、私とのやり取りで得るものが何もないとお思いなら、他人との対話に割り込まないのが正しい態度だと思います。(間違いの指摘なら歓迎しますけどね) --風船 2009年1月21日 (水) 15:20 (UTC)
- 風船さんが 00=1 と書いてほしいと言っているのではないことは承知しています。それを確認したのが最初の質問です。私はまだ、記事本文の編集に関して何も言及していません。00=1 と定義するには私の導出した |00| = 0.5 を否定する必要がありますので、この論理が否定できない限りは、Wikipedia上での持論の展開を慎むべきでしょう。記事編集の議論をするのはそれからと思っています。--和太郎 2009年1月22日 (木) 02:47 (UTC)
|00| = 0.5 を否定する気は、当分ありません。それが 0y とは別の問題だと主張されると反論したくなりますが、まあそれも副次的なものです。持論展開を慎むべきというのは、ノートも含めてですか?では、聞かれなければという条件で封印します。(というか、最初はそのつもりでしたが、だんだん脱線してしまいました。)記事についての議論をしてもらえるのであれば、私にとって最良の結果ですから。--風船 2009年1月22日 (木) 07:37 (UTC)
- ご理解いただけたことを嬉しく思います。また、出過ぎた真似を静観していただきありがとうございました。記事についての議論は節を改めさせていただきます。--和太郎 2009年1月22日 (木) 12:38 (UTC)
『べき乗の定義は正しくて』
風船さんの主張を確認しておいて恐縮ですが、より正確な主張は「『べき乗の定義は正しくて』から始めないでください。」なのではないでしょうか。具体的には、べき乗の定義から導かれる『x ≠ 0 のとき x0 = 1 であるから』という部分でしょうか。--和太郎 2009年1月22日 (木) 12:38 (UTC)
- 今のべき乗の定義が正しくないと言う気は全くありません。その点で、べき乗の定義としてどちらが正しいかという議論を記述する必要もありません。その一方で、別の定義に繋がる考えも正しいと感じる人が存在し、それを定義が異なるからと切り捨てるのは間違っています。問題は定義の選択ではなく、一見同じような定義に何故違いが生じるのか、という部分の理解なのです。
- そのためには『べき乗の定義は正しくて』を一旦棚上げにした記述が望ましいと考えています。『x ≠ 0 のとき』から始まる文章では、x0 = 1 を定義に加えるという発想となり、一貫した発想になりえないので考えが伝わりません。--風船 2009年1月23日 (金) 03:17 (UTC)
別の定義に繋がる考えも正しいと感じる人が存在しても、それを定義が異なるからと切り捨てるのが間違っているとは思いません。津軽弁での記述の方が読みやすい人が存在しても、それを方言だからと切り捨てるのが間違っていないことに似ています。--和太郎 2009年1月23日 (金) 08:02 (UTC)
- 意味が二通りに解釈できるので、確認します。「切り捨てる」とは、そう感じる人が間違っているとすることなのか、その考えを無視することなのか、どちらでしょうか。私は、考えの存在は認めてあげて、それが標準とどう違うのか明らかにするのが親切だと思っているのですが、それは要らぬお世話と考えるという解釈で合っていますか?--風船 2009年1月23日 (金) 09:37 (UTC)
議論中失礼ですが、Makotoy さんの 2009年1月12日 (月) 19:07 (UTC) のコメントで終わっている話でしょう。
「 | 「べき乗は 1 に x を n 回掛けた数」という表現が、今の記事と比べて、何らかの数学的現象をよく照らし出していれば記事に含める意義がありますが、とてもそうはおもえません。一般論として、ひろく認められていることをウィキペディアに書くのは至極まっとうのことです。ですが、いつでもそうとは認められていないことをいちいち事細かに拾ってきてそれら全てを検討し、論考を加えるということは文章の読みやすさを損なうため、好ましくありません。 | 」 |
当記事が「質問に答えるためのもの」という考えには、ウィキペディアの方針からして到底同意できませんし、文脈を無視して風船さんの思い描く内容を書くことは、記事の劣化に繋がると私は考えます。折角、風船さんに持論展開を「封印」するとおっしゃって頂いたのですから、これ以上の無駄な議論は止めませんか。--白駒 2009年1月23日 (金) 11:42 (UTC)
- 対応の意味がよく分からないのですが、Makotoy さんのコメントで終わっているというのは、和太郎さんの意見がそれと同じと確認されている、ということでしょうか。もしそうだとしても、それは和太郎さんが答えれば良いことですし、それほど無茶な質問はしていません。また、「質問に答えるためのもの」というと一問一答のように聞こえてしまいますが、もちろんそう考えている訳ではありません。ウィキペディアが答ではないとしたら、白駒さんは何だと思うのですか?(返答は期待してませんけど)。なお、何のために封印したかを理解していれば、それをひっくり返すような発言は止めてください。--風船 2009年1月23日 (金) 13:44 (UTC)
- この記事は他の記事と明らかに性質を異にしています。数学の記事ではことさら客観性が重視されるでしょうが、この記事はそもそもの存在理由が主観的です。存在自体が主観的な記事ですから、表現にできる限りの論考を加えなければ、ともすると独善的になってしまいます。もう終盤です。このタイミングで議論を止める理由はありません。--和太郎 2009年1月24日 (土) 12:14 (UTC)
別の定義に繋がる考えしか正しいと感じない人が存在したら、それを切り捨てるのは間違っています。しかし、別の定義に繋がる考えも正しいと感じる人が存在しても、それを切り捨てるのが間違っているとは思いません。津軽弁しか読めない人が大勢いるのなら考慮すべきですが、津軽弁も読める人がいくらいたって記事に津軽弁を併記する必要がないことに似ています。それでも津軽弁を併記することが親切でしょうか。--和太郎 2009年1月24日 (土) 12:14 (UTC)
- 何故か津軽弁に拘られていますので、私も津軽弁で答えます。三味線の記事では、津軽三味線も出てきます。津軽三味線には当然それ独特の用語もあるでしょう。たとえば和音に当る用語があったとして、和音と表記するか津軽弁で表記するかはそれほど簡単なものではないと思います。それは用語の紹介自体に意味があるからで、和音が津軽の人に知られていても変わりません。前半は納得しましたので、親切は脇に置き、その記述に意味があるかどうかを考えましょう。
- 『しばしば、0の0乗は 1 と定義される』という記述は極めて曖昧です。指数法則を満たすかどうかさえ不明なので、00 × 00 が計算できません。明記する限り、どう定義しても構わないという誤解(1 以外は副作用あり)も生んでしまいます。それらは定義されないことの説明に内容が片寄りすぎているからではないでしょうか。--風船 2009年1月25日 (日) 14:06 (UTC)
津軽弁の併記が意味を持つこともあるでしょう。しかし、津軽弁で和音を何というか知りませんが、「和音(三味線の三味はもともと津軽弁で和音の意)」ならまだしも「和音(調子ともいう。また、津軽弁では『調子』の転訛で『ちょうす』という)」では、文章の読みやすさを損なうだけです。--和太郎 2009年1月27日 (火) 07:21 (UTC)
- 分かりやすい例えを考えてもらって、ありがとうございます。一言足りないとすれば、今回の件がどちらに相当するかという判断だけなので、出来ればそれを明確にしていただけますか?感じ方は人それぞれなので、率直な意見を聞ければやり取りは終わると思います。--風船 2009年1月27日 (火) 13:26 (UTC)
要するに、00 が定義されない現代において、あなたの提案はやや受け入れがたいものがあるということです。--和太郎 2009年1月27日 (火) 15:42 (UTC)
メモ Keith Oldham, Jan Myland, Jerome Spanier, An Atlas of Functions: With Equator, the Atlas Function Calculator, 2nd Revised edition, Springer-Verlag, 2008 ISBN 978-0387488066 の 83ページに、「00 は通常定義されないが、文脈によって 0 にも 1 にもなり得る」との意味の一文。--白駒 2009年5月1日 (金) 17:13 (UTC)
単純に疑問に思ったんだけど「n が正の整数のとき 0n = 0 であるから、0の0乗を 0 と定めることも自然であると考えられる。」とあるけど、ゼロって「正の整数」じゃないよね?--Petit happy(会話) 2013年9月23日 (月) 14:33 (UTC)
- はい、0は正の整数ではありません。文意は「正の整数で成り立つことを流用して、正の整数ではない0の場合にも当てはめて拡張してしまうことも考えられる」ということなので、0が正の整数ではないからこそ、日本語の文として意味を持つ一文です。もし0が正の整数だとすればナンセンスで意味不明ですし誤っている文です。--60.132.30.147 2013年9月28日 (土) 15:07 (UTC)
5年経っても疑問
あれからもずっと考えていました。 私は昔から 00=1 と定義すべきと考えていますが、数学の常識では「00 は未定義」なのは認識しており、その記述に異論はありません。 私の疑問は未定義とされる理由についてであり、それが5年経っても解消されません。 どうしても執筆者の方は間違ってると思えるのです。 1つ目の疑問は、「連続ならないことが理由の一つ」と記述されている点です。 私は連続性と関数値の存在に関係性はないと考えます。 例を示すなら
- f(x) = x/x には f(0) は存在しないが は存在する
- f(x) = sgn(x) には f(0) は存在するが は存在しない
というように、どんな組み合わせも存在していると思うのです。 関数値を決めるなら、もっと別の根拠によるべきだと思います。 2つ目の疑問は、べき乗の定義のみを 00 という値を決定する根拠としている点です。「定義されないことの説明」の第一段落を要約すると
- x0 = x/x であり x = 0 の場合は 0/0 となるから決められない
となります。もし前半の式を定義と考えるなら話はここで終わり。けれど「1と定義する考え方」は 0/0 = 1 と定義することではないのだから、これは 00 の値をべき乗の定義以外によって決定しても良いことを示しています。だとしたら、話はまだ終わってません。 たとえば、00.5 は通常 0 として扱われます。もちろんその根拠はべき乗の定義には存在しないから、この結果は指数法則によるものです。 つまり、指数法則が底を 0 とした場合に成立しないのは明らかだけど、部分的に(指数が正の場合に)成立すると考えることは可能で、そう仮定すれば 00.5 = 0 であり、それが共通の認識になっているのだと思われます。 だとするならば、00 に対しても、指数法則などを条件に加えた場合にどうなるか記述することは必要なことだと思われます。 私の主張をまとめると、連続性は 00 を定義できないとする理由にならないし、指数法則なども考慮すれば 1 以外の値と考えるのは難しいということです。 なお、和太郎さんが言っていた「x と y はともに実数であるとします。|xy| = 0.5 として、x → 0 のときの y の極限を考えたことはおありでしょうか??」にも答えられるようになったので、「この論理が否定できない限りは、Wikipedia上での持論の展開を慎むべきでしょう。」という忠告を肯定的に捉え、もう一度記事の内容に意見することにしました。--風船(会話) 2013年9月29日 (日) 14:01 (UTC)
「n が正の整数のとき 0n = 0 であるから、0の0乗を 0 と定めることも自然であると考えられる。」という記述は曖昧な表現だ。これを
- n が正の整数なら f(n) = 0 であるとき、 f(0) を求めよ。
という問題であると考えた場合に f(0) = 0 と答えたくなるのは理解できる。 それがもっともシンプルな仮定に基づく値であるからだ。 ところが
という選択肢が示された上で f(0) を問われた場合は、どちらを選ぶべきか私には答えられない。 自然かどうかは「何を最初に思い浮かべるか」程度の意味だから、選ぶ段階では f(n) = 0 などの条件のみが意味を持ち、それ以外のものに意味はなくなる。 そもそも、1次関数とは思えないものを一部の数値だけで1次関数と見なし、それらが互いに矛盾することに数学的な意味はまったく無い。 「全てに都合の良い定め方はない」などと言いたいのなら、べき乗を
という式で表すことが不自然だと示すことが必須であると思う。 この式は x0 の値も 0n の値もそれ以外の値も正しく表しているのだから。--風船(会話) 2013年10月3日 (木) 12:43 (UTC)