セベニーコ (水雷砲艦)
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このページ名「セベニーコ (水雷砲艦)」は暫定的なものです。(2022年7月) |
セベニーコ (SMS Sebenico) はオーストリア=ハンガリー帝国海軍の艦艇。水雷砲艦[1]。公式にはTorpedo Ship[2]。
「ザーラ」と「スパーラト」に続く艦で、艦中央の魚雷区画やボイラー室が手狭であったことから船体が2フレーム分延長され、全長64.91メール、水線間長57.10メートルとなっている[3]。最大幅は8.24メートル、設計排水量876.7トンで満載排水量964.2トンであった[3]。機関出力は1488から1598馬力で、速力は最大12.81ノット、平均12.41ノットであった[3]。兵装面では、魚雷発射管が艦前部の水中発射管1門のみとなっている[3]。
1880年11月29日起工[4]。1882年2月28日進水[4]。1883年12月[4]または1882年竣工[5]。
1884年1月23日から5月8日までギリシャへの訓練巡航を実施[6]。「セベニーコ」は座礁したギリシャ汽船「Epiros」の救難作業を支援している[6]。1895年から1896年5月7日まで「セベニーコ」はコンスタンティノープルに駐留した[6]。
1897年2月3日から5月4日までクレタ島封鎖に参加[6]。1897年3月17日、「セベニーコ」はCape Dia近くでギリシャ帆船を沈めた[6]。
その後、「セベニーコ」は火夫の練習艦、ついで砲術練習艦に改装された[6]。
1904年1月13日、汽船「Calypso」の救難作業を支援[6]。
第一次世界大戦ではプーラ近くのVeruda(またはSebenico[5])で警備艦となり、後にNovigradに配備された[6]。1918年にはプーラの水雷学校に配された[5]。
戦後はイタリアに引き渡され、解体された[6]。
脚注
[編集]- ^ "The Torpedo Vessels of the Imperial and Royal Austro-Hungarian Navy, 1875 to 1918", p. 59
- ^ The Naval Policy of Austria-Hungary, 1867–1918, p. 53
- ^ a b c d Austro-Hungarian Destroyers in World War One, p. 12
- ^ a b c Austro-Hungarian Destroyers in World War One, p. 14
- ^ a b c Austro-Hungarian Warships of World War I, p. 103
- ^ a b c d e f g h i Austro-Hungarian Destroyers in World War One, p. 17
参考文献
[編集]- Greger, René (1976). Austro-Hungarian Warships of World War I. London: Ian Allan. ISBN 978-0-7110-0623-2
- Lawrence Sondhaus, The Naval Policy of Austria-Hungary, 1867–1918: Navalism, Industrial Development and the Politics of Dualism, Purdue University Press, 1999, ISBN 1-55753-192-7
- Zvonimir Freivogel, Austro-Hungarian Destroyers in World War One, Despot Infinitus, 2021, ISBN 978-953-366-051-6
- Wolf H. Bille, Fulvio Petronio, "The Torpedo Vessels of the Imperial and Royal Austro-Hungarian Navy, 1875 to 1918", Warship International Vol. 8, No. 1, International Naval Research Organization, 1971, pp. 53-81