シュファルアム・シナゴーグ
表示
座標 | 北緯32度48分22秒 東経35度10分14秒 / 北緯32.806148度 東経35.17042度 |
---|---|
種類 | synagogue |
追加情報 | |
一般公開 | Limited |
シュファルアム・シナゴーグは、現イスラエル北部のイスラエル国籍パレスチナ人の町シェファー・アムルにある古いシナゴーグである。
このシナゴーグは17世紀に、古いシナゴーグの廃墟の上に建てられた。そこは伝承によれば、サンヘドリンが開かれた場所だという。シナゴーグはその後崩れ去ったが、18世紀の半ば、ガリラヤの統治者ザーヒル・ウマルがユダヤ教徒に戻ってシナゴーグを修繕する許可を与えた[1]。シナゴーグはラビ・アブー・アルアーフィヤと彼に従うものにより修繕された。
シュファルアム・シナゴーグは、1845年にラビ・ヨセフ・シュワルツがその著書『パレスチナの地理述解と小史』に「約30のユダヤ教徒の家族と古いシナゴーグがひとつ」と記されている。シェファー・アムルには1970年代にコミュニティーが解散するまで、ユダヤ教徒が住んでいた。その結果、建物は補修されなくなり、ようやく最近修繕された。放棄されたとはいえ、かつての礼拝の堂屋の鍵は地元のムスリムにより保管され、シナゴーグは地元のパレスチナ人により敬意をもって取り扱われている[2]。
2006年11月に、修繕を経てシナゴーグは再び開いたが、式典でシェファー・アムルの市長ウルサン・ヤーシンは、地元の若者による第二次インティファーダへの呼応に対して、当時自分は身を張ってここを守らなければならなかったが今後はそのようなことがないように、と再度述べた[3][4]。なお、第二次インティファーダがあった2000年10月当時には、内部の遺物が傷つけられたという報道もあった[5]。
参考文献
[編集]- ^ Ancient Synagogue in Shfaram, Israel Ministry of Tourism
- ^ “News Releases: September 12, 2005”. Simon Wiesenthal Center (September 12, 2005). 2007年7月4日閲覧。 “Simon Wiesenthal Center officials pointed to the Israeli town of Shfaram where all of the 25,000 residents are Arab as a living example of religious tolerance: Shfaram’s historic synagogue, long empty and without Torah scrolls and prayer books, is still treated by its Christian, Muslim, and Druze neighbors as a sacred communal trust. To this day, the keys to the former house of worship are held, by a local Muslim housewife.”
- ^ Ashkenasi, Dovid, (November 16, 2006), “Shfaram shul renovated”, Jewish Tribune, pg. 9.
- ^ “Arab Resigns Knesset Post”. The Bulletin, (Philadelphia) (April 13, 2007). 2007年7月9日閲覧。 “Shefaram's Mayor Ursan Yassin reminded the media on Thursday that on the first night of the riots he saw a group of masked men that wanted to desecrate the ancient synagogue of Shefaram: "I told the hooligans that I recognized them, and that if they wanted to continue, they would have to get past me.”
- ^ “Israeli vs. Israeli”. New York Times (October 10, 2000). 2007年7月9日閲覧。
関連項目
[編集]- ティベリアのシナゴーグ - 同じくラビ・アブー・アルアーフィヤにより建てられたシナゴーグが残る